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薛 珠麗(せつ しゅれい)のブログ
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# 世界一遅い『ゲゲゲの女房』語り
タイミングが世間とズレてたっていいんだい。
年末の総集編で、ずっと気になっていた台詞を確認できて、涙を流して
感動したんだい!

というわけで2011年になって『ゲゲゲの女房』を語る。

『ゲゲゲの女房』、途中からではあったが、欠かさず見ていた。

朝ドラなんて真面目に見たのは何十年ぶりだろう。わたしの回りにも、
「朝ドラを見ている」なんて人はこれまで一人だっていなかった。皆無。

しかし見る目のある友達に薦められて4月の終わりかな?から
見始めて、おすすめ通り物凄く面白くて。。気が付けば、回りの
友人たちのうち見ていないのは一人だけ、という事態になっていた。

いやぁー素晴らしかった。

とにかく、脚本が本当に本当に素晴らしかった。

うなぎ上りの視聴率に、ネットのニュースなどには「なぜこんなに
ウケたのか」という分析などが載ったりもしたが、どれも見当外れも
いいところだと思った。
何のことはない、本当に本当に作品が素晴らしかった。
それだけのこと、だと思う。

もちろん「貧乏のどん底にある苦労人の漫画家が、如何にあの知らぬ者の
ない『ゲゲゲの鬼太郎』という大ヒット作を生み出すか」という興味は、
誰にもあったと思う。
この不況の世の中にあって、主人公たちを次々に襲う笑っちゃうほど
手痛い貧乏の波をも辛くなりすぎずに見続けられたのは、視聴者の誰もが
「この先には『鬼太郎』の栄光が確実に待っている」ことがわかって
いたからこそだ。
或いは、その筋書きが、不況に耐える世の奥さまがたの心に「希望」という
灯を灯し、アピールしたのかも知れない。

他にも出演者の魅力とか、色々と理由はあったのだろう。

でもそれもこれも、脚本があれだけ素晴らしかったから輝いたのだと思う。

何が凄いって、思い起こせばこのドラマ、言ってみれば「斬新な部分が
ない」作品であったことだと思う。
夫が戦争を経験し稀な才能に恵まれそれを存分に追求した、という以外は
本当にどこにでもいる妻、どこにでもいる子供、どこにでもいる家族の姿。
だからさんざん語り尽くされた物語も展開するし、これまでさんざん
交されてきた台詞も交される。

それでも『ゲゲゲの女房』は毎週毎週、惚れ惚れするほど面白かった。

設定に何一つ斬新な切り口がなくとも、揺るぎないテーマという骨子に
人間の営みを確かで豊かなまなざしで見つめた物語を肉付けしていき、
ストーリーテリングの巧みな技術を使って味付けする。。それによって
こんなにも現代を描き現代を揺るがす作品になるのか!
物語と向き合う人間にこれほど有意義な教訓を示してくれる作品も
なかなかないと思う。

個人的に何が一番凄いと思ったかというと、時に対極として描きがちな
「家族」と「創作という名の狂気」の二つを「営み」という大きな、
本当に大きなテーマでまとめあげた手腕、ということに尽きると思う。

8月には、そこに「あの戦争」というテーマまでも絡めて、まさに
天晴れとしか言いようのない見事さだった。

母に似て強いこととが言えない長女藍子。その性格と「父親が有名人である」
という事実が噛み合わず、回りとの間に生じるズレ。
それと同時に語られる、本当にギリギリで九死に一生を得たにも関わらず
生還を歓迎されず、死を強要された茂の苦しみ。
強い意志を息子に授けた茂の母絹代が、藍子に「間違っていないなら
正々堂々としていればいい」「弱い自分に言い訳をし始めたら、それこそ
本当の嘘つきになってしまう」と諭す。
その言葉に力を得て、藍子は母布美枝に悩みを打ち明ける。
夫の戦争体験を聞いて夫の執筆姿勢と改めて向き合うチカラを得ていた
布美枝は、「誰にでも弱さはあるけど、出来ることを頑張ろう」と
藍子の気持ちをしっかりと受けとめる。

‥‥こうして書いていてもため息が出る。見事だ。
息子にチカラを授け生還を信じた頑固な母、
命からがら生き延びた戦争を背負って創作へと昇華している漫画家、
その記憶の重さに驚き悲しみながらも自分なりに受けとめ、それを
子供たちへいい形で循環させようとする妻であり母、
自分の性格や生まれた環境や回りとの距離感を少しずつ自分で築こうと
している幼い娘__
それぞれの生きるドラマが折り重なり響き合い呼応し合い「生きる」ことに
向かう、本当に素晴らしい展開だった。

茂の仕事が途絶え、また自身スランプに陥った週のどラマも見事だった。
その時に絡めてあったのは次女喜子が感じていた、回りとのズレ。

長女のそれとは違って、芸術家の感性を父から譲り受けた次女のそれは
ずばり「感性の違い」そのものだ。高校生当時の喜子の悩みは、
なるほど深い。

「目には見えないけど、いる」
これは『ゲゲゲの女房』に通底するテーマの一つだが、この時の
茂には目に見えない世界が見えなくなっていた。信じられなくなっていた。
それは即ち、それまで築き上げてきた自分の世界、価値観が信じられなく
なっていたことに他ならない。
妖怪大好き似たもの親子が、いつも親しく遊んでいた妖怪の世界との
繋がりを失って心細くしているさまは、見ていても寂しいものだった。

そこにずばりと斬り込んできた茂の昔馴染み(或いは戦友)戊井の
言葉が凄かった。
「本物は消えない」
「どんなに苦しくても描き続けてきたあなたの底力はこんなところで
終わるようなものじゃない」
茂にみるみる漲っていくチカラが見ていて眩しかった。
まさに「目に見えないけど、ある」、底力。
その底力が、茂の元に、そして喜子の元に、妖怪たちを呼び戻す。

「自分を信じる大切さ」は人生の真理だし、あらゆる物語のテーマだが
この直球でない、でもブレのない訴え方が、本当に心に染みた。

南方で茂が危機的状況にあった頃、郷里の両親がその様子を夢に見て
「死ぬな!」「生きて帰れ!」と一晩中呼びかけ続けた、という
エピソードには身体が震えた。

このドラマで描かれる愛は命そのものだ。

「生きる元気をくれる」なんて曖昧なものじゃなく、『ゲゲゲの女房』は
人間が如何にして生きるべきかの叡智に溢れた物語なのだ。

不器用で少々身勝手な男親の愛情(しかも茂と、布美枝の父源兵衛の2人
がかり!)に反旗を翻す藍子の悩みのまとめ方など、もう本当に本当に
感動的だった!

この時の藍子は母ともぎくしゃくしてしまっているので、ここは祖母の
出番なわけだが、わたしは見ていて、父の母である絹代の出番では
ないな、と思っていた。絹代は男の子しか育てたことがないし、自身も
豪放磊落な性格。どちらかというと、考え方が男の理屈なのだ。

そこへ尋ねてくる布美枝の母ミヤコが鮮やかだった。頑固な専制君主
である夫の後ろを半歩下がって歩く典型的な日本の良妻賢母なわけだが、
ふんわりと、でも的確に、夫に言うべきことは言う。
安来に帰る直前、娘と孫娘2人を前に話して聞かせる話がまた、
穏やかで優しく強く、美しい。
離れて暮らす子を持つ親が、どんなに子を心配し、愛しく思うか。
「あなたのことを思って言ってるんだから、わかってあげて」とは
よく言う言葉だが、どれだけの想いかを自分の身を削るようにして
話して聞かせたミヤコの言葉には、桁違いに心揺さぶる説得力があった。

女性が描く、女性だけが生み出す命の営み。その強さと美しさ。
本当に、素晴らしい。

しかしわたしが一番感動したのは、茂の父修平の死の間際の台詞だった。
死の夢うつつの中で、修平は愛してやまない映画館にいる。自らの生涯が
映画となって、スクリーンに映し出される。
しかし、あっという間に終わってしまうその映画。

「なんだ、もう終わりか」

修平は口を尖らせる。

「ああ、面白かったなぁ」

修平は微笑みながら、目を瞑るのだ。
映画や芝居を愛し、夢を見続けて生を愛した男の、大往生。

「ああ、面白かったなぁ」の台詞が凄い。
「でも、面白かったなぁ」じゃない辺りが凄い。
凡人(って、わたしだけど)だったらともすれば「でも」を
付けてしまう気がする。
「もう終わりか。でも面白かった」と。

でも、修平の人生の幕切れに「でも」はつかないのだ。
「なんだ、もう終わりか」は人生の短さを、死という幕切れを迎える
寂しさを、呟く台詞ではないのだ。
「あっという間に感じるほど自分の人生は面白かった」という意味なのだ。

何と素晴らしい、命の賛美。

『ゲゲゲの女房』は本当に、命、その営みを、慈しむ瞬間に溢れていた。

細かい場面を挙げれば、眠るように逝く夫を見送る絹代の
「60年も一緒に暮らしたのに。親よりも長く一緒にいたのに」
という台詞は、悲しいのに、ごく普通の台詞なのに、生き生きとした
人物描写と相まって、その果てしない日々を想像させ、感動的だった。

悲しむ絹代に、ミヤコがかける「いいご夫婦ですね」という言葉も。

亡くなった布美枝のおばばがずっと見守るようにナレーションを
していたのもいい。
ずっとナレーター的に、ある程度客観性のある目線でナレーションをして
いたそのおばばの声が、水木プロ20周年のパーティに出かける布美枝を
見送る時だけおばばの目線になったのにも、本当に心が熱くなった。

その時に布美枝が娘たちに説明する「青海波」の説明も、約半年間
一家の営みに寄り添い続けた視聴者と色々な感慨を分かち合う、素敵な
台詞だった。

水木プロ20周年を祝う近所のおばちゃんたちの宴で、茂の読者
第一号であった太一が持参した貸本屋の美智子さんの手紙を、そこに
いた全員が一人一人慈しむように手から手へと渡していく描写も、
若き日の夫婦の苦労と周囲の支えを覚えている視聴者にとっては、もう
たまらない演出だった。

このドラマが作劇テクニック的にも優れていたことも特筆したい。

子供が生まれる前の夫婦の元へ布美枝の父源兵衛が尋ねてくる時など、
実に巧みだった。源兵衛の上京のすったもんだを描いた直後に、布美枝の
元に思いがけない訪問客が訪れる。誰もが源兵衛かと思うわけだが
そうではなく、布美枝の幼なじみなのだった。幼なじみに対して
要らぬ見栄を張ったり、布美枝は父が上京する前に既に「今の自分と
うまく向き合えていない自分」をみつけ、悩む。そこへ父が上京してきて、
騒動が起きる__という、実に巧い構成だった。視聴者が、先の展開が
気になってグイグイ見続けてしまう、そんな吸引力も生み出せていた。
こけおどしの仕掛けなど使う必要のない、それこそ「底力」のある
物語であった。

「癒し」や「優しさ」ばかりが求められている昨今だが、こうして考えて
いくとこのドラマは、もっと真剣に互いとそして大切なものと向き合う姿勢が
描かれていたように思う。

真剣に向き合うこと、つまり「愛」。
それを連綿と丁寧に紡いでいったのが「営み」。

2010年の大晦日『紅白歌合戦』の審査員席に、『ゲゲゲの女房』の
原作者武良布枝さんは、ドラマの中で布美枝が着ていた青海波の着物に
よく似た櫻色の着物姿で座っていた。
今回の『紅白歌合戦』で熊倉一雄さんが『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を歌い、
いきものがかりが『ゲゲゲの女房』の主題歌を歌い、源兵衛役の大杉蓮さんと
ミヤコ役の古手川祐子さんが登場し、布美枝役の松下奈緒さんは布美枝を
イメージしたピアノ曲を自ら弾いた。まさに『ゲゲゲ』尽くしの『紅白』。

それを布枝さんは、にこにこと‥‥ではなく、身を乗り出して息をつめて、
真剣そのものの表情で見入っていた。
身を削るようにして作品を生み出してきた漫画家水木しげるを支えた女性の、
それが生き様なのだと思う。



薛 珠麗(せつ しゅれい)
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