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薛 珠麗(せつ しゅれい)のブログ
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# 「世代」
演劇をつくる立場になって16年。
内容に深く関わるようになって15年ほどになりますか。

演劇という「ナマ」の表現に携わっていながら、実は
「世代」というものを考えたことも感じたことも、ほとんどない
演劇人生を歩んできました。

既存の戯曲を、わたしより年齢が上の外国人演出家が演出する、
という現場であることが多かったからかも知れません。

既存の戯曲とはつまり、わたしが生まれた時にはこの世に既に
なかった作家が遺した作品、ということです。わたしが今まで関わった
中で一番古い戯曲は古代ギリシア劇で2500年前の作品。
シェイクスピアは400年ほど前だし、200年前や100年前の
戯曲だったら1930年代や1950年代の戯曲と感覚としては
あまり変わらないくらいです。むしろ、1970年代以降の作品で
関わる人たちが記憶している時代を描いていると、逆に新鮮だし
緊張もします。今も生きている作家の戯曲を扱う時も、普段が
こんな調子なので実感もわかず特に感慨はない、というのが本当の
ところなのですが、以前作家がイギリスから観に来てくれた時は、
さすがにたいへん感動しました。

過去に書かれた作品を舞台に載せる時は、作品が描かれた時代を
一通り検証します。作品の世界観や訴えているメッセージは、時代が
その原動力となっていることも多いからです。

どんな時代が作家にその作品を書かせたかを考え、
それがその舞台を作る送り手であるわたしたちと、舞台を見る観客に、
どのような関係があるかを考えます。

現代のわたしたちと全く関係がない舞台は現代の観客に届ける意味が
ないと思うし、また逆に、現代に全く関係がない戯曲というのも
あまり見当たりません。「名作」と呼ばれて時代を超えて語り継がれている
作品は、やはり時代を超え、普遍的に訴えるものがあります。

わたしが関わってきた作品の多くは外国人が演出した舞台ですが、その場合
この「普遍性」がポイントになることが多いです。全く違った環境や時代から
集まった、戯曲、演出家、スタッフ俳優、そして観客が、時代や文化や国の
違いを超えた「人間」に斬り込んで、普遍的な本質を抉り出す。。という
試みはしかし、現代に生きている生身の人間が全身全霊で当たっている場合
意識せずとも「時代」が表出するのではないかと思います。

そうやって、100年前の戯曲であるにも関わらず、衣裳や美術を
特に「現代に置き換える」ということをしないにも関わらず、
「現代社会を鮮やかに浮かび上がらせた」と評判の舞台が出来上がる、
という刺激的な現場にわたしは何度も居合わせました。

「世代」とか「時代」は特に意識するものではなく、わたしにとっては長らく
「生身から自然に滲み出てきてしまうもの」だったのでした。

そうやってサブリミナルな付き合い方をしてきた「世代」「時代」と、
今、少しだけ意識的な付き合いをしています。

次回作でわたしは翻訳をしているのですが、
イギリス人である作家が何と!生きているのはもちろん、わたしより年下!
その上、演出家は日本人で、やはりわたしより年下!

しかしありがたいことに、作家も演出家も翻訳家のわたしも、世代は
一緒です。ついでに言うと、大きく括ると(笑)主人公もまた、同世代。

というわけで、国は違えど環境は違えど、対象として見てきた世界は
同じなのです。目撃してきた世界の変化も一緒。

たとえば。

わたしの世代は、冷戦の終結をリアルタイムで見ています。

それまでは、「世界の脅威」とは、鉄のカーテンの向こうにある
赤旗翻る灰色の世界でした。それはとてもわかりやすい図式でした。

しかし、東ドイツがなくなってソ連がなくなって、代わりに世界を脅かし
始めたのは、人間の「科学の進歩」それ自体なのでした。
始まりは、チェルノブイリ。それがうやむやになった頃に襲ってきた、
オゾンホールの脅威と、地球温暖化。

それに加えて、資本主義が絡み付いてこびり付いた、人類史の負の遺産。
具体的にいえば、アメリカ対中東の関係悪化です。カネと怨念がないまぜに
なった、得体の知れない脅威。

ベトナム戦争いう前奏曲が流れた後、次第に崩壊していった、それまでの
世界の、シンプルな図式。
わたしたちの世代は、それ以降の世界に漂う得体の知れぬ影を見つめながら
成長し、生きてきました。

あるいは、たとえば。

わたしの世代は、通信システムの進歩を、身をもって体験しています。

長らく、友達と連絡と言ったら、「自宅に電話」しかなくて。
高校時代に好きだった先輩は両親とも教師だったので、電話をするまでの
ハードルが異常に高かったのを覚えています。
彼氏が出来たら、深夜の居間で明かりを消して、電話機をソファまで
引っ張ってきて、長電話したりしていました。

1995年、わが家に子機付きの留守電が登場!
晴れて、部屋に電話が!!!

‥‥って言ってるうちに、ファックスが導入されました。
ちょうど今のメールみたいな感覚で、友達と手書きファックスを
夜中に送り合っていたものです。

でもここからが早くて、1996年にはPHSを導入!
それまでは、一旦家を出てしまえば留守電を外から聞く以外に全く
連絡手段がなかったわたし(わたしはポケベルは経由していません)、
ここで初めて「いつでもどこでも連絡が取れる人」に!

翌1997年には、早くもPHSから携帯電話に昇格。

ここで思い出せないのが携帯メールがいつから始まったかです。
iモード開始が1999年だそうだから、その辺かしら。。
ドコモは最初、250文字だったんですよね。わたしはその前に
50文字っていう信じられない時代も経ている気がする。。
長いメールを何通にも分けて、行き帰りの電車から送っていた
記憶があります。

それまで仕事では使っていたパソコンを自宅にも導入したのが
1998年。初代、ボンダイブルーのiMacです。
この時初めて自宅にネットが開通(ダイアル回線でしたけど!!!)、
その時に取得したメールアドレスをわたしはいまだに使っています。
よく覚えているのは、この頃はパソコンにしかメールの出来ない
人が多かった、ということ。

携帯でもメールが出来るようになったのがiモードが始まった
1999年として、カメラが付いたのはその3年後くらいかなぁ。

2002年、4年間使ったボンダイブルーのiMacをiBookに
買い替えました。

ここからは、ブログ、ミクシィ、twitter。。っていう流れ。

Skype は使いこなせていないし、今年MacBookに買い替えましたが、
iPhone も iPad も現在のところは必要性を全く感じません。

それにしても、twitter の普及によって、世界のどこにいてもネットにさえ
繋がっていたら、日本にいる赤の他人がいつ仕事から帰ったかも即座に
知ることのできる世の中になりました。

友達が待ち合わせ場所に来なかったら3時間でも待っていた時代は、
遥か昔です。

自分が年を重ねると共にそんな変化を体感してきた世代にしか
感じられないものも、あるのじゃないか。至極もっともな考えです。

今まで向き合ったことのなかった「世代」というものと、今、
向きあってみています。


薛 珠麗(せつ しゅれい)
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