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薛 珠麗(せつ しゅれい)のブログ
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# 「パレード」

映画作品に興味を持つきっかけってたくさんあると思いますが、
タイトルだけで惹かれた映画があります。

『パレード』。

ベルリン映画祭で賞も穫り、現在公開中です。

(注意:ネタバレを見ないでご覧になってほしい映画です。
このブログは、ネタバレはしていませんが、先入観を与える文章には
なっていると思いますので、映画をまだご覧になっていない方はご注意
ください)

最初は、ある俳優の次回出演作として目に入ったタイトルでした。
そのタイトルに惹かれ、調べると原作小説があり、評価も高いとのこと。
早速小説を手に入れ、ぐいぐい引き込まれて一気に読み終わってしまいました。
読み終わった後も、何度も読み直しました。

ちなみに、物語の内容は、都内の住宅地にあるマンションで共同生活を
する男女4人、そしてそこに加わる5人めの少年。一見だらだらと続く
彼らの日常と裏腹な、彼らそれぞれの様々な顔__といった感じです。

内容と「パレード」というタイトルが、なかなか直結しないかも
しれません。

「パレード」という言葉に、どうしてそこまで惹かれるのか。

2001年9月に通訳及び演出補として携わった舞台『ガラスの動物園』に
登場するある印象的な台詞と、響き合うのかもしれません。

テネシー・ウィリアムズ作『ガラスの動物園』には、輝かしい過去の記憶の
中にだけ慰めを見出す強烈な母親と、足が悪いためか人との関係をうまく
結べない病的に内気な娘が登場します。年頃になってもボーイフレンドは
おろか友達もいず、学校にも恐ろしくて通えず、小さなガラスの動物たちと
遊ぶことしかできない娘に、母親は「外に出なさい」と諭します。
「人様のパレードが通り過ぎるのをただ黙って眺めているだけ?」と。
「人生がただただ通り過ぎるだけ、それでいいの!」と問いつめるわけです。

娘と違って内気とは程遠いけれども、やはり現実の生活から目を背け
過去の夢に逃避することでやっと生きている母親は、この台詞を言いながら
優雅にハンカチを握りしめた手をすっと巡らせます。まるで、目の前に
賑やかで空虚なパレードが本当に通りすぎていったかのように。
小さく巡らせた手は、まるで追いすがるようで、その見えないパレードは
叶わなかった夢、生きられなかった人生の象徴のようで。
何気ないけれど本当に大好きな場面でした。

「パレード」という言葉を見た時に、賑やかできらびやかだけれども
すぐに通りすぎていってしまう一瞬の空虚な輝きや、絶対にその一員には
ならない、なれない人間がただただそれを外から見送る、その寂寥感のような
ものが、瞬時にイメージされたのだと思います。

タイトルにそんなイメージを持って読んだ吉田修一氏の原作小説は、
わたしのそのイメージをじんわりとリアルに、そしてキリキリと抉り
深めていくものでした。
一見どうも直結しない内容の小説に「パレード」という名前が付けられている
ことそれ自体に、何というか、痺れました。

そして、映画。

試写会を重ね初日を迎えると、この一見とてもわかりにくいタイトルを巡って
映画をつくった行定勲監督はじめ、キャスト、映画を見た人々からも、
タイトルについて色々な考えが出て来ています。

かなり特殊な先入観があって「パレード」という言葉と出会ったわたしには
どれもとても目から鱗な新鮮さです。

「自分がパレードの先頭をきって進んでいると思っていた人間が、実は
みんなの後からついて行くだけだった」
「パレードのように、回転木馬のように、きらびやかで賑やかなものは
ただただ巡り巡って、どこにも進めない」
「誰もパレードの行き先を知らない。誰もパレードを降りられない。
誰もパレードを止められない」

映画では、「パレード」というタイトルがとても効果的に使われています。
ぞっとするほどぬけぬけと、そしてポン、と見る者の目の前に投げ出され、
見る者はその意味を自分に問わずにいられない、というほど。

わたしが思い出したのは、「誰もいない夜の通りをゆく、のっぺらぼうの
チンドン屋」っていう奇っ怪なイメージでした。
わたしが「日本のアニメの最高傑作の一つ」と個人的に思っている
『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』という映画に登場する
強烈なイメージです。
この映画では、主人公たちがある1日のある町に閉じ込められます。
日が昇っても昨日と同じ1日が始まり、電車にいくら乗っても着くのは
乗ったのと同じ地元の駅、路線バスのルートもいつの間にかループになり、
どんなに車を走らせてもどうしても町の外に行けない。。。という、
そりゃもう恐ろしい映画でした。
町を出ようと車を走らせている時に、ひとけが途絶えて影絵のようになった
夜の町に、のっぺらぼうのチンドン屋だけがチラシを撒きながらチンドン
奏でているのです。

わたしには、『パレード』のラストシーンの彼らは、まるでのっぺらぼうの
チンドン屋に見えました。

もしくは、死ぬまで踊り続ける赤い靴。
足を斧で斬り落とすしかない、赤い靴。





薛珠麗(せつ しゅれい)
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