書きたいことも書かねばならぬことも山積みなのに、全て無視して!
いま書きたいこと書く!!
櫻が満開の日に生まれたわたしは、無類の櫻好き。
でも今年2014年は、自分が色々と咲くのに忙しくて、ほとんど
櫻を目にしなかった。
かかりっきりだった『レディ・ベス』も4月13日に初日を迎え、次に関わる
舞台、日生劇場『昔の日々』の準備のための1週間を過ごし‥‥それらが
一段落した先週末、大阪出張のついでに京都に立ち寄ってみた。
2日間、頭をカラッポにする時間。
京都は大好きで、これまでに何度も訪ねている街。今回は当て所もなくぶらぶら
したり、何故か一度も行ったことがなかった三十三間堂に行ったり。そして
思いたって、大好きな智積院も歩いてみた。
智積院にはいつも、素晴らしいお庭と、長谷川等伯の障壁画に会いに行く。
収蔵庫の扉を開くと、全ての壁が長谷川等伯とその弟子たちによって描かれた
障壁画に埋め尽くされている。16世紀、地に金箔を使った桃山時代に特徴的な
豪華絢爛。
左奥の壁を彩るダイナミックな『櫻図』は長谷川等伯の息子の筆によるものだ。
まるで舞妓の花かんざしか提灯が下がっているかのように、たわわに重そうな
八重の櫻のまぁるい花が、画面いっぱいに揺れている。
国宝に指定されているこの絵の作者=長谷川久蔵は、長谷川等伯の長男で跡取りで、
この絵を描きあげた当時、わずか25歳。
ところが久蔵はそれから間もなく、26歳の若さでこの世を去ってしまう。
この『櫻図』の隣に並んでいる『楓図』は、長谷川等伯55歳、息子の菩提を弔う
ために描きあげたと伝えられる。
まるで命を叩きつけるような気迫を、わたしは若き久蔵の『櫻図』からも、父の
『楓図』からも、ひしひしと感じた。
絵師たちが生き、絵が描かれ、絵師たちがこの世を去ってから、400年余り。
父より子が先立とうと、次代を担う跡取りが若い命を散らそうと、何十年の時間は
それから歴史が重ねた年月の前では、どうでもいいことのようにも思われる。
なのに、儚い命が描いた儚い花は、400年以上の時を経て、今も爛漫と、見る
者の眼前で咲き誇る。
輝かしい未来を描いていただろう跡取り息子を失った父の慟哭に似た大木の佇まいは
今も、金に輝く画面をふたつに引き裂き、色づいた葉をびっしりと茂らせている。
時はとめどなく流れ、あっという間に過去の彼方へと飛び去ってゆく。
それでいて、一瞬が永遠かのような時間を、一気に飛び越えることもある。
生きる。芸術。どちらも何ととらえ難くそして美しいものか。
収蔵庫には、小学校に上がったばかりと思われる小さな少年が祖母に連れられ、
静かに遊んでいた。手すりによじ登り、『櫻図』『楓図』を、見上げていた。
久蔵も等伯にとって、これくらいの少年だったことがあるのだろう。
等伯は50代も終わりになって、小さな男の子を見かけるたびに涙を流す日を
送ったかもしれないのだ。
この少年が大人になって再びこの収蔵庫に訪れる時も、この櫻は爛漫と咲いて
いるに違いない。
わたしが櫻を愛するのは、あの花には命と死とが、分ち難く咲き狂うからだ。
2014年のお花見を、わたしはきっとずっと、忘れない。
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)