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薛 珠麗(せつ しゅれい)のブログ
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# 公演のお知らせ___the PLAY/GROUND vol.0『背信|ブルールーム』
薛 珠麗、久々の演出作品のご案内です!

2015年4月〜5月にワークショップを開催していただいた
シアター風姿花伝の企画協力で

2015年9月〜10月のワークショップで使用した戯曲
『ブルールーム』を

2015年8月、10日間限定の【俳優】として挑戦した戯曲
『背信』と交互上演で

2015年の夏〜秋の日々、ずっと立ち上げに関わってきた
PLAY/GROUND Creation の企画・製作のもと

‥‥演出します。

新年は明けているとはいえ、まさに!2015年の総決算。

実は14年前の日本初演時、翻訳/演出家アシスタント/通訳を
務めた『ブルールーム』という戯曲。
男女5人ずつ、10人の人物たちがしのぎを削る10の愛の場面は
日本初演では内野聖陽さんと秋山菜津子さんがそれぞれに1人5役で
演じましたが、今回は10人で10人を演じます。
それを何と、トリプルキャスト‥‥!!!

それぞれの個性と魅力が炸裂する、3チーム。
全チームご覧になれば、『ブルールーム』という戯曲の力
(作家デヴィッド・ヘアーは、ナショナルシアター・ライブで
話題になった『スカイライト』の作家です)
そして俳優という素晴らしい存在の力もまた、目の当たりに
していただけるのでは‥‥と思います。

また『背信』は、ブログに詳しく綴れていないのですが、8月に
10日間限定で俳優の活動をした際に挑戦した戯曲です。
女と、その夫と、その親友。3人の男女による、愛の闘いの物語。
エマという人物と格闘したあの日々以来、3か月‥‥未だに悪夢のように、
作品世界が取り憑いて離れません。この恐ろしい戯曲に、
是非、多くの方に取り憑かれていただきたいです。

新年早々、愛と演劇の泥沼、情念のジャングルで、
迷子になってみませんか。









◉公演詳細

the PLAY/GROUND vol.0『背信|ブルールーム』
〜actors’ PLEASURE/GROUND 2015-16〜


2016/1/7(THU)〜1/10(SUN)
シアター風姿花伝



++++++++++

SCHEDULE

2016年
1月7日(木)

12:00「ブルールーム」ver.A
15:30「ブルールーム」ver.B
19:00「背信」

1月8日(金)
12:00「ブルールーム」ver.C
15:30「ブルールーム」ver.A
19:00「ブルールーム」ver.B

1月9日(土)
11:00「背信」
14:30「ブルールーム」ver.C
18:00「ブルールーム」ver.A

1月10日(日)
11:00「ブルールーム」ver.B
14:30「ブルールーム」ver.C

※上演時間(予定)
「背信」1時間50分
「ブルールーム」2時間10分


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CAST / PLAYERS

『背信』


ジェリー     森尻 斗南
エマ       松本 みゆき
ロバート     芦塚 諒洋
ウェイター    坂本 なぎ

『ブルールーム』ver.A

若い女      依田 玲奈
タクシー運転手  菅原 優
オーペア     渋谷 采郁
学生       石綿 大夢
人妻       西村 順子
政治家      西本 泰輔  
モデル      灘波 愛
劇作家      近藤 隼
女優       森下 まひろ
貴族       斉藤 直樹

『ブルールーム』 ver.B

若い女      えみりーゆうな
タクシー運転手  内山 拓磨  
オーペア     竹下 澄夏
学生       西原 信裕
人妻       柴田 和美
政治家      谷畑 聡  
モデル      佐々木 美奈
劇作家      井上 裕朗
女優       都築 香弥子 
貴族       藤尾 姦太郎

『ブルールーム』 ver.C

若い女      山脇 唯
タクシー運転手  稲垣 干城
オーペア     五十嵐 優
学生       杉森 裕樹
人妻       北見 有理
政治家      三嶋 義信
モデル      佐度 那津季  
劇作家      堀 雄貴
女優       都築 香弥子  
貴族       井上 裕朗

演奏       後藤 浩明

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STAFF / PLAYERS

『背信』
作     ハロルド・ピンター
翻訳・演出 井上 裕朗  
翻訳協力  薛 珠麗

『ブルールーム』
作     デヴィッド・ヘアー
翻訳・演出 薛 珠麗
翻訳協力  井上 裕朗 

美術       宇野 奈津子
照明       松本 大介
衣裳       小林 巨和
音楽       後藤 浩明
音響       佐藤 こうじ
舞台監督     鳥養 友美

宣伝美術     藤尾 姦太郎
記録写真     福島 奈津子
企画協力     シアター風姿花伝
企画・製作    PLAY/GROUND Creation
管理人      井上 裕朗


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ACCESS


シアター風姿花伝
東京都新宿区中落合2-1-10


※ 電車
 JR山手線「目白駅」より徒歩18分
 西武池袋線「椎名町駅」より徒歩8分
 西武新宿線「下落合駅」より徒歩10分
 都営大江戸線「落合南長崎駅」より徒歩12分

※ バス
 目白駅前から
  都営バス「練馬車庫前」行き
      「江古田2丁目」行き
  西武バス「新宿駅西口」行き
 4つ目の停留所「目白5丁目」で下車、
 進行方向へ徒歩30秒


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TICKET

一般 2500円(前売・当日ともに)
U-20 1000円(20才以下・要ID)

(全席自由・1ドリンク付)

※全て当日精算でお願い致します。
※開場は開演の30分前を予定しています。
※幼児・小学生の入場はご遠慮頂きます。

チケットお申し込みページ:
URL:http://ticket.corich.jp/apply/70028/002/
(PLAY/GROUND Creation からメールでお申し込み
いただくこともできますが、こちらからご予約いただきますと
わたしが把握することが出来、公演当日まで「◯◯さまが
何日の ver.◯ をご覧くださる!」とわくわくできますので、
よろしければ、こちらからお申し込みくださいませ‥‥)

++++++++++

INFORMATION

詳細は PLAY/GROUND Creation のサイトをご覧ください。
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| comments(0) | - | 23:23 | category: PLAY |
# 薛珠麗&岡田育の参加型トークイベント「わたしたちは、どうしてこんなにお芝居が好きなんだろう?」のお知らせ
薛 珠麗 & 岡田 育の参加型トークイベント
「わたしたちは、どうしてこんなにお芝居が好きなんだろう?」




「岡田育と薛珠麗で何かイベントができないだろうか?」
「トークショー?」
「だったらいっそ、参加型&対話型トークイベントにしてしまう?」と
いうやりとりから始まった企画です。

世田谷の民家を再利用した会場は【恩師のご自宅にお邪魔している】
といった雰囲気です。リビングのソファに座ってお茶を飲みながら
「わたしたちは、どうしてこんなにお芝居が好きなんだろう?」を
薛 珠麗 & 岡田 育と共に、語り合いませんか?
【お芝居】としましたが、薛珠麗と岡田育のことですから、もちろん!
ミュージカルも、含みます。

【場所】:ささきハウス
【日時】:2014年11月15日(土)
     第1部:12:30〜14:30
     第2部:16:00〜18:00
【定員】:第1部:10名
     第2部:10名
【参加費】:1500円

【薛 珠麗 プロフィール】:
薛 珠麗(せつ しゅれい)
国際基督教大学を卒業後、数多くの外国人演出家やアーティストの
通訳/演出補を務めた後、戯曲翻訳や演出、訳詞や作詞、劇作も手掛ける。
主な翻訳作品に、tpt『エンジェルス・イン・アメリカ』『ブルールーム』、
パルコ劇場『ハーパー・リーガン』、日生劇場『キャバレー』。
演出作品にtpt『蜘蛛女のキス』、
音楽実験室新世界『楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき』他。
劇作に世田谷パブリック『1945』。
『バーム・イン・ギリヤド』で第1回小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞。
最新の翻訳作品は帝国劇場『レディ・ベス』。
ブログ:http://shurei-s.jugem.jp/
Twitter:https://twitter.com/_shurei_
note:https://note.mu/_shurei_

【岡田 育 プロフィール】:
岡田育(おかだ・いく) @okadaic
編集者・文筆家。1980年東京都生まれ。
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。
出版社勤務を経てエッセイの執筆活動を始める。
著書に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』。
連載に、新潮45「天国飯と地獄耳」、マイナビニュース「女の節目」、
LaLaBegin「メガネに会いたくて」など。
CX系情報番組『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。
ミュージカルをこよなく愛する、ただの観劇オタクです。
公式サイト:http://okadaic.net/
Twitter:https://twitter.com/okadaic
note:https://note.mu/okadaic


【お申し込み方法】:

10月22日(水)午後10時に、下記のURLに申し込み受付専用サイトが
立ち上がります。(22日22時まではアクセスができませんのでご注意ください)
http://peatix.com/event/56761
サイトの案内に従ってお申し込みくださいませ。
なお、事前にチケット購入の流れのページでご確認いただけますと、購入が
よりスムーズに行えます。


【お問い合わせ】:
info@shurei-s.com(薛 珠麗 代表アドレス)


こぢんまりとした感じで、語り合いましょう♪お待ちしております!


薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 真っ赤に燃えた日々!
こちらのブログでも書いたように、我が師であるデヴィッド・ルヴォーが
久しぶりにワークショップを行い、わたしはそのために通訳業務に特別に
復帰しました。

以前にもこちらのブログに書きましたが、わたしは彼が日本で開催した初めての
ワークショップの参加者でした。その時の出会いが、演劇を仕事にする、
そして古巣であるtptの一員となる、直接のきっかけでした。

それから、20年‥‥!

2回めのワークショップからは開催側として、そしてその次かな?からは
通訳として、彼のワークショップは十何回か参加したことになります。

しかし!

何度ワークショップを重ねても、彼のワークショップには根底から
揺さぶられます。
【生きること】【関わり合うこと】【伝えること】【愛すること】それらが
わたしの中ですみずみまで潤いわたり、すっきりと軽やかになり、豊かに
輝き出す。

出会いから20年となった今回のワークショップでも、それは変わらずでした。

「わたしが成長しないのか、デヴィッドがよっぽど凄いのか、いやその両方
ですかね?」と自虐ぎみに笑ったわたしに、尊敬する演劇の大先輩がある言葉を
くださいました。

「それはお前が成長してるってことだろう!昔はわからなかったことが今は
わかるようになって、そのぶん感動が増えて、前と同じだけ感動しているように
感じるだけだ」

なんて素敵なのでしょう!
そうだといいなぁ。そうであると、信じることにしました。

しかし、今回は感動しながら通訳したりしていればいい、というわけではなく。

今回のミッションは、我が師デヴィッド・ルヴォーと日本、という関係と絆を
更新し、更に豊かに、未来へと、繋ぐこと。

具体的には、ルヴォーはワークショップ講師の他、主催である東京芸術劇場の
広報誌である『芸劇BUZZ』に掲載される野田秀樹さんとの対談、そして
一般の観客の皆さんを対象にしたトークショーを行いました。

ちなみに、ワークショップのテキストは、2001年から2002年にかけて
tptによってベニサン・ピット他で上演した、わたしの翻訳作品である
『ブルールーム』。

ワークショップでは、嬉しい再会もたくさんありましたが、多くの素晴らしい
出会いもあったと思います。待ちに待った、新しい出会い!
わたしが常日頃から「デヴィッドに出会わせたい」と思っていた方たちも多く
参加されましたし、近年、ストレートプレイの演出のペースが落ちていたために
ルヴォーの作品に触れる機会がなかった皆さんに、デヴィッド・ルヴォーの
演出の一端を、知ってもらえたとも思います。

また、野田秀樹さんとの対談では、過去、現在、未来、そして根源と、あらゆる
次元の内容について非常に刺激的な対話が生まれたと思います。あまり知られて
いないながら20年近い交流を続けてきたルヴォーと野田さんが今、東京で、
演劇の現在と未来を語ることの意義は、計り知れないものがあるとわたしは思います。

トークショーでは、席について客席を見上げて、色んなものが思わず込み上げて
きてしまいました。『ルドルフ』をご覧になったお客さまから、ルヴォーがかつて
芸術監督を務めたtptが今は亡きベニサン・ピットで行っていた公演に必ず
足を運んでくださっていたお客さままで、本当に見慣れた顔が多くいらっしゃった
からです。中には、ルヴォーの演出作品に出演した皆さんも!参加費の1000円を
普通に支払い、彼のトークが聴きたいと集まってくれていたのです。実はこの
トークショー、わたしが発案したものだったのですが、皆さんにこのように集まって
いただいて。感動でした。

実は野田さんとの対談もトークショーも、進行は長谷部浩さん。ルヴォーに関して
『傷ついた性〜デヴィッド・ルヴォー 演出の技法』という著書のある長谷部さんと
久しぶりに話をすることができて、ここでもご縁が現在とつながりました。

他にも、東京芸術劇場でたまたま上演されていた「4、5番弟子くらい」と自称する
熊林弘高くん演出の『秋のソナタ』を観てそこでもtpt時代の仲間と再会したり。

そして、これらのオフィシャルなイベントの他に。

わたしの方で、無謀な計画を。

【デヴィッドを囲む会】です。

別名【デヴィッドを囲う会】いや【囲い込む会】!

何しろ幹事であるワタクシがノーミソから火ぃ噴きそうな日々だったので、
あまりきめ細かな連絡ができずざっくりとした声掛けしかできなかったのですが、
それでも!何と30名近く!

いつも本当に仲が良く集まりが良い『ナイン』ガールズと、やはりこちらも
物凄く集まりが良いことが判明したチーム『ルドルフ』がメインでした。

稽古中だったり本番中だったりと、お忙しい方ばかりなのに。

デヴィッドを、ぎゅうぎゅうに【愛】で囲い込んだ夜でした。
「また日本で会おうね!」と。

写真もたくさん撮りました。素敵な写真ばかりですが、わたしがここに載せる
よりも、是非みんなのブログでご覧いただければと思います。そのうち
お2人のブログを、ここに貼っておきますね。

吉沢梨絵さんのブログ。
和音美桜さんのブログ。

しかし、本当にノーミソから火ぃ噴きながらの日々だったので、こんな大それた
会、わたし1人ではとてもとても、とてもとても開けませんでした。
愛する『ナイン』ガール池田有希子さん!彼女がお店との話など、全てやって
くれました。ゆっこ、ありがとう。愛してる!

今回のわたしのミッション、完了です。

この10日間がいずれ未来に、美しい花を咲かせ、豊かな果実を結びますように。

個人的には今回、久しぶりに彼と色々と語り合うことができました。
ワークショップやそういった語らいの中で、翻訳家として、演出家として、
演劇人として、人間として。様々な刺激をもらいましたので、再び通訳という
仕事を封印して翻訳家、演出家として活動していく中で、活かしていきたいと
思います。

こちらは、プレゼントしてくれた、真っ赤な本。何でも、非売品なのだとか。
めずらしく「サイン入れる」と自分から言って、サインしてくれました。笑



こちらは、最終日に撮った、師弟写真です。
わたしが寄り添いすぎなのは、ミッション完了が嬉しかったからです。笑





薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 【未来】を信じて。
【人生を自分のしたいことに費やそう】【その明確な一歩として、通訳を引退しよう】
そう宣言した日から、もうすぐ1年半。

あれから、芝居を1本演出した他、新たな挑戦を幾つもさせていただいたり、逆に
これまでやってきたことが次の段階に進むことができたり、小さな種を幾つも蒔いたり。

【自分のしたいこと】というのはつまり、【自分の信じる物語を自分の信じられる舞台で
世に問う】ということなのですが(長いなぁ。。)それを【メインテーマ】とすると、
わたしの人生には【サブテーマ】がある、ということが次第に見えてきました。

【サブテーマ】とはつまり、【世界と日本が触れ合う《場》になる】ということ。
翻訳劇というものに長く、それも色々な形で携わってきたので、日本の翻訳劇を
より面白くするためにその経験を活かしたいし、海外演劇人にもっともっと日本で面白い
ことをしてもらうために(もう通訳はできないけれど)交流の【場】になりたい、と
いう気持ちもあります。

この【メインテーマ】と【サブテーマ】は必ずしも重なる部分があるわけではないので、
この2つがどう進んでいくかはわからないし、あくまで【メイン】が【メイン】なの
だけれど、いずれこの2つが1つの大きな流れに合流していかないとも限らない。

何しろ生まれた瞬間から環境の全てに【インターナショナル】が付く身の上なので、
よく考えてみればこの【サブテーマ】はわたしにとって【自然】というか【宿命】と
いうか、いやいっそ【アイデンティティ】というか。

しかし、実はこの【サブテーマ】で最も大きな牽引力となっている思いが、わたしには
あるのです。【師であるデヴィッド・ルヴォーに、日本で芝居を続けてほしい】です。

昨年、中村勘三郎さんが亡くなられたことが、わたしのこの思いに拍車をかけました。
日本の芝居を大きく前進させる原動力を失った危機感はわたしの中で計り知れないものが
あります。大きな大きな存在を失って、日本の芝居は総力を結集させる必要がある。
世界からも助っ人を呼ばなくては。どんなに補って補って補おうとしても、決して埋める
ことなどできない損失だけれど、【失ってしまった】では済まされない。わたしなりに
【メインテーマ】を頑張らずにはいられない、【サブテーマ】でもできることは何でも
しなければ居ても立っても居られない。

そのような結論が自分の中で見えた時。

東京芸術劇場さんが、デヴィッド・ルヴォーのワークショップを開催することに
なりました。
ワークショップは、彼がかつて芸術監督を務めていた、そしてわたしが13年間、
全てを教えてもらったtptにおいて、彼がとても大切にしていた活動です。
わたし自身、彼が日本で初めて開催したワークショップに参加したことでこの仕事を
始めるきっかけを掴みましたし、毎年、時には年に数回、開催していたワークショップで
数々のかけがえのない瞬間、出会いを目撃してきました。彼のワークショップは常に、
未来を迎えうち、未来を創造する時間でした。

彼が日本でワークショップを開催することで、彼の芝居がこれからも日本で展開する
ために必要な何かが、始まるかもしれない。

そんな思いで今回、このワークショップで、通訳を務めることになりました。
これからの日本の演劇に、彼の芝居を、手渡したい。橋を架けたい。そんな思いです。

だからといって、これからもデヴィッドの通訳を続けることは本当にもう心身共に
無理なのですが。。今回はいわば【引き継ぎ】のような気持ちで挑みます。
いったん火を落とした調理場で再び料理をするのがとても難しいように、完全に辞めた
通訳を一時的とはいえ再開するのは色々と大変そうですが、未来に色々な花を咲かせる
ような、そんな時間になってほしいから、そのために取り組もうと思っています。

‥‥でもそれだけじゃなく、デヴィッドのワークショップは本当に本当に面白いのです!
頻繁に開催していた頃(わたしはもちろんずっと通訳していました)はそのたびに
身体中の細胞とか魂とかに新しい命の息吹を吹き込んでもらうような、そんな感覚を
味わっていました。

最後にそんな感覚を味わうのも、悪くない。そんな気持ちも、個人的にはあります。

素敵な演劇的瞬間が、たくさん生まれますように。
素敵な出会いが、たくさん生まれますように。



‥‥た、楽しみすぎるーーーーーーっ♪♪♪(←偽らざる本音)





薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)




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# ツーヤク脳 その4
「ツーヤク脳」 その1 その2 その3

‥‥いやー。語る語る。笑

まぁ17年前からずっと自分の真ん中にあった仕事をやめたわけだし
自分のブログなんだから、いいですよね?ね?

「ツーヤク脳」1も2も3も、「演劇通訳を目指す」という奇特かつ勇敢な
御仁(仮にいたとして、だが)がこの職業を目指す上で読んだとしても、
ちっとも‥‥もう、これっぽっちもっっっ!役に立たないのでは‥‥と自分で
読み返して思った。

もっと客観的に冷静に、「通訳」という立場を割り切った演劇通訳の方だって
世の中にはたくさんいると思う。それはもう、各自の「演劇」との、
「言葉」との、「自分」との、向き合い方の違いなのかも知れない。

「なのかも知れない」というわたしにしては曖昧な言葉を何故使ったかというと、
わたしが自分以外の演劇通訳をあまり‥‥いやほとんど知らないからだ。
それは仕事の性質上、ある程度は仕方のないこと。

それに、演劇を(或いは演劇も)やっている通訳さんでも、「演劇通訳」と
名乗る人はそれほど多くない。というよりわたしは、ほとんど思い浮かばない。

逆にわたしは所謂一般の通訳さんの仕事をアルバイト程度しかしたことがないし、
通訳としての資格を持っているわけでもないし、通訳の勉強をしたこともない。

では何故わたしが演劇通訳として「優秀」と言っていただくこともあったかと
言うと、それはもう「場数」の賜物、としか言いようがない。
主に活動してきたtptが、年間3本だの4本だのつくる集団だから、と
いうことが大きい。
社会に出た翌年から本格的に活動を開始したので、多分年齢にしてはキャリアが
長い、ということとの相乗効果で、とにかく作品数だけは凄い数だ。

ではその「場数」がない演劇通訳志望者が読んで、少しは役に立つかも知れない
ことを、書いてみようと思う。(無理かも知れないが‥‥)

よく「専門用語が大変なんでしょうね」と言われるが、それは実はそうでもない。
基本的に「人間」の周りでしか物事が存在しないし動かないので、大抵のことは
シロウト(=通訳)が論理思考を駆使すれば理解できる。

わたしが駆け出しの頃は「とにかく新しい言葉に触れたら書き留めて」と
アドヴァイスされたが、わたしが修行していた時は演出家ではなく主に美術家
(つまりセットデザイナー)の通訳をしていたので、とにかくその場で理解できる
まで確認した。セット関連は、行き違いがあったら取り返しがつかない。何百万
何千万円かけたセットを、通訳の間違いのためにつくり直すことはできないのだ。
技術畑の人は、言葉が通じなくても図面や専門用語や数字でコミュニケーションが
取れるので、最初の頃はその会話に耳を澄ませて言葉を覚えた。

「演出家の通訳がしたいから技術面の言葉は要らない」と思ったら大間違いで、
ちゃんとした演出家なら美術の発注ミーティングにも参加する。その舞台で
つくりたい世界における優先順位を一番わかっているのは演出家なので、作りや
機構の面から意見する場合だって大いにあるのだ。

「専門用語」での落とし穴は、むしろ基本の部分に多い。
舞台の世界では、いまだに「寸」「尺」「間」が単位として使われているのは
あまり知られていないと思う。イギリスだと「メートル」なので、いちいち
換算が必要だ。アメリカでは「インチ」「フィート」だが、これが不思議と
「1インチ」はほぼ「1寸」、「1フィート(本当は「1フットだが)」は
ほぼ「1尺」なので、大体の感じを伝えるだけならこれで充分。(ああ人体の
神秘!)

一番良く使う「舞台カミテ」「シモテ」などが実は一番の通訳泣かせ。
「舞台カミテ」、つまり客席から見て「舞台右手」は「stage left」。
「舞台シモテ」、つまり客席から見て「舞台左手」は「stage right」。
そう、逆なのである。

それと、日本語では袖から舞台に登場することを「出る」退場することを
「入る」と言うが、英語ではこれも逆だ。
日本語では舞台の前から奥に向かって移動することを「下がる」と言うが、
英語では「上がる」と言う。

他にも、例えば「ニーハイソックス」は膝上までの靴下だが、英語だとこれは
膝下までの丈となる。

英語で「tissue」とは「ティッシュペーパー」ではなく「薄紙」のことだ。
(いわゆる「ティッシュペーパー」は「kleenex」である。)

通訳の無知でそこを間違えると、なけなしの衣裳予算や小道具予算が目減りして
衣裳さんや演出部の皆さんにご迷惑をおかけすることになりかねないわけだ。

題材つまり戯曲によっては、舞台になっている国の宗教、歴史、政治、地理、
文化の知識が必要だし、演出家の出身国の宗教、歴史、政治、地理、文化、そして
一般常識の知識も必要だ。
もちろん、日本の宗教、歴史、地理、文化、そして一般常識の知識も、英語で
説明できるくらいに必要なのは言うまでもない。(あっ!政治の知識に関しては
「どうして日本の総理大臣は毎年変わるのか」の質問に答えられるようにして
おくことが最重要!)

何しろ日本と英米では「文化が」というよりも、そのベースとなる「世界観が」
まっっっっっったく違うので、人間の根本的な営みや思考や葛藤を扱う
演劇という畑で異文化同士を繋ぐ者として、その知識は幾らあっても足りない。

このブログでもかつて語った「責任」と「responsibility」の違いなどは一番の
例だ。問題が起きた時、日本では「責任を取る=代表して謝る」だが、
英語においては「問題を解決する」なのである。演劇という、時間の制約が
ある‥‥つまり初日という絶対のゴールに向けてものをつくる世界では、
このズレが大きな、非常に大きな問題となる。そこをどう繋ぐかも、通訳の
腕次第である。

また、演出家が稽古の際に引き合いに出したり例えに出す絵画や小説や映画や
演劇の古典名作の知識も必要だ。

わたしの経験からすると、案外必要がないのは、演劇の「◯◯論」的な知識
だろうか。ワークショップやレッスンや講演の通訳をするなら別だが、実際の
稽古で、その辺の知識が豊富にないと理解できないような演出家のつくる舞台が
面白いわけがない。幸いにわたしは、そんなつまらん演出家に当ったことは
一度もない(あったかも知れんが、忘れた!)し、演劇通訳志望の皆さんも
遭遇しないことを謹んでお祈りする。

しかし、演劇通訳にとって最も大切な知識は、何を隠そう「日本語」である。

わたしは戯曲翻訳もやっているが、あまりよく知らない人からは「英語の
専門家」と思われる。本当によくわかっていない人には「英語が出来て凄い」と
言われる。

それはね、実は、とんでもない勘違いである。

帰国子女だったり、わたしのようにインター出だったり、英文科だったり、
英文学でシェイクスピアを学んでいたり英米に留学していたりで、演劇通訳を
目指しているという奇特かつ勇敢な御仁が、もしいたら。

演劇通訳が母国語と同程度に英語が使えるというのは、それは、最低ラインという
もので。「出来て当然」「それが前提」というもので。

勉強すべきは、日本語である。

演劇通訳にしても戯曲翻訳にしても、主なアウトプットは、日本語なのだ。
演劇通訳も戯曲翻訳家も「英語の専門家」ではない。
むしろ「日本語の専門家」であるべきだとわたしは考える。

ちなみにわたしはインターナショナル・スクール出身で、日本の学校に通った
経験が一日もなく、日本語はわたしにとって「第一外国語」だった。
ので、中学3年の国語の教科書までしか、日本語は勉強できていない。
だから、恥ずかしながら、たとえば古典などの知識はゼロだ。
でも、みんな卒業後は英米の大学に進学することしか頭にないような中で、
わたしは変わり者の「日本語おたく」だった。高校を卒業する時点で新聞を読める
クラスメートなど一人もいなかったが、わたしは中学生の時点で岩波文庫を読んで
いた。それも、小学生の頃「将来日本で暮らすとしたら、このままの日本語力では
この子は苦労する」と心配した母が、夏休みに漢字ドリルや書き順の勉強など
学校の日本語教育の不備を半ば無理矢理埋めてくれたおかげだ。実際わたしは
幼稚園から高校まで、いつもノートに日本語の詩やエッセイや、小説でみつけた
美しい言葉などを書き付けているような子供であった。

わたしに演劇通訳や戯曲翻訳の仕事が務まっているとしたら、それは英語力の
おかげではない。日本語を自分の道として、真剣に向き合ってきたからだ。

「日本語」を深めるにおいて、古典文学を勉強したりたくさん読書をしたり
言語学的に研究したり‥‥も重要かも知れないが、演劇通訳においては
「生きた言葉」が大切だ。

たとえば、初日を目前にして、不慮の事態が重なったり、あまりに大作であった
ためにまとめるのに予定外の時間がかかっていたとする。
たとえば、そのために、何十人の人が5日くらいほぼ不眠不休で、頑張ってくれて
いたとする。
各セクションから「初日には間に合わないだろう」と悲鳴のような声があがる。
そんな時に、演出家が、不眠不休で駆けずり回ってくれている何十人を集めて、
話がしたいと言ったとする。
どんなに不可能に思えても、キャストスタッフ全員が本当に一丸となって
「初日」というゴールを目指して、不可能を可能にしなくてはならないのだ。
しかも、初日は「開ければいい」というものではない。
完璧な舞台をつくって、願わくば、そこに集まった何百何千ものお客さまの心に、
死ぬまで抜けない楔を打ち込みたいのだ。
そんな時、わたしが演劇通訳として傍らに立ってきた、わたしの尊敬する
演出家たちは、彼らの歩んできた人生やつくってきた演劇の全てを込めた、
心と感謝と祈りの全てを込めた、言葉を、チーム全員に伝え手渡す。
疲労と焦りとパニックと恐怖と怒りで混乱した何十人の心に届けと、
真摯に言葉を紡ぎ出す。

その言葉を、通訳は担うのだ。

確実に、心に届きたい。確実に、心を動かしたい。
そんな気迫を伝えきる日本語を、通訳は持っていなければならないのだ。

戯曲においても、役者に演じてもらう段階においても、スタッフの皆さんに
舞台を実現してもらう段階においても。
そこにいるのは「人間」。それを動かすのは「心」。
心を動かせる言葉を演出家は持っていなくてはならないし、演劇通訳は
心を動かせる日本語を持っていなくてはならないわけだ。

わたしにそれが出来ていたかどうかは置いておいて、演劇通訳とは
そういう仕事だ。

しかしそれはつまり、「言葉」だけの問題ではない。

たとえば「裏方」と呼ばれる人々はどの国でもちょっと頑固なコテコテの
職人気質が多いとされる。
多くの場合演出家は外国人で男、通訳は日本人で女、そして裏方さんたちの
多くは日本人で男。
外国育ちやわたしのようなインター出の女性が最も苦手な「男尊女卑」
「縦社会」が日本演劇界の裏方さんの世界では厳然と存在する。
男同士の意地の張り合いになってしまった時に、後でこっそり「まぁまぁ」と
フォローする‥‥とか、男性を立てておだてて頭を下げて、無理なお願いを
聞いていただく‥‥といった日本式コミュニケーションが演劇の世界では
大活躍だ。「根回し」などは演劇通訳の時間外業務の最たる内容である。

ブロードウェイのアーティストをアテンドしたり、彼らと一緒に初日の
ロビーでシャンパンをいただいたり‥‥といった華やかな部分や、英語を
駆使してクリエイティブな活動をする‥‥といったイメージとは程遠い、
日本社会特有の「女性の立ち回り方」をするのが、実は演劇通訳の一番重要な
業務だったりするわけだ。


‥‥と、ここまで書いて‥‥ひょっとしてわたしは、せっかくこの大変な仕事を
志望してくれている人の夢や希望の芽を摘んでいるんじゃないか?という
気がしてきた。

‥‥とにかく、とっても大変ですが、やり甲斐だけは死ぬほどある仕事です。


‥‥え?「演劇通訳はどうやったらなれるんですか?」って?
それは自分で考えて探してください。

「どうすればなれるのかわからない」とか「わたし向いているでしょうか」とか
考えているようだったら、もう悩む必要はありません。
あなたは絶対、向いていないとわたしが断言いたしましょう。


「ツーヤク脳」シリーズ、また思いついて書くこともあるかもしれませんが、
とりあえずのところ、これで終了です。


色々書いて、だいぶ‥‥気が済みました。笑

いやータイヘンな仕事だ。

17年間、お疲れ、わたし。




薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# ツーヤク脳 その3
ちなみに「その1」「その2」はこちらに。

自分で「ツーヤク脳」語りを読み返して仰天した。

「コンディションのキープ」と「短期記憶」の話しかしていない‥‥ほぼ。

普通「演劇通訳」のことを語るなら、もっとこう、内容のことを書きそうな
ものである。
しかし「もうこれきりで引退する」という切り口で書いていたために、
「いかにハードか」「いかに限界か」
という側面でしか書いていなかった‥‥ほぼ。

この仕事を目指たい、という奇特かつ勇敢な御仁もいるやも知れぬので
もう少し「内容」の部分も語っておこう。

わたしが演劇通訳の仕事をする時は、まず「聴く」。

一にも「聴く」、二にも「聴く」、「三四がなくて」どころか
三も四も「聴く」で、もちろん五にも「聴く」だ。

並大抵の聴き方ではない。
身体中の穴という穴、毛穴の全ても全開にして、とにかく「聴く」。
もちろん口など開きっ放し、目は虚ろである。

人間、人の話をどんなに一生懸命に聞いているつもりでも、どこかで
「おなかすいた」とか「今夜のテレビ楽しみ」とかの雑多な思考が残っている
ものである(当然だ!)が、普段そういう雑念が犇めいている脳の容量も全て
きれいさっぱり「無」にして開け放って、ひたすら「聴く」のである。

例えばわたしは、本当にハードな一日を過ごした後なんかだと、自分の名前を
聞かれたとしても一瞬考えないと思い出せないくらいになることがあった。
とにかく、脳の全てを開放して「聴く」。

人間の脳のうち常に稼働しているのは10%だとかいう(真偽のほどを調べた
ことはない)が、体感としては「普段10%のところを、100%フル稼働して
聴く」という感じである。

‥‥例えば、上記の文章の「並大抵の聴き方ではない」からここまでの部分を、
誰かに話して聞かせたとする。その後に「じゃ、今までのところをわたしが
話した通りに、表情やニュアンスや手振りもそのまま再現して、喋ってみて」と
付け加えたら、皆さん例外なく「無理に決まってるよー!」と笑う。

‥‥まぁ、後から「再現して」と言われたらそりゃあ誰にとっても無理だろうが、
じゃあ聞く前に前もって判っていたら。できる方はおられるだろうか。

‥‥以上をこれまで何人かの人に試したことがあるが、皆さんやってみるまでも
なく「そんなの出来るわけない」と笑っておしまい。

そうかーそうだろうな。でもね、演劇通訳はそれが仕事で、1か月以上毎日
6、7時間、長い時は12時間以上、それをやり続けるのだ。

もちろん、慣れはあると思う。
しかし間違っても違うのは「頭がいいから出来る」という考え方だと、わたしは
常々、思っている。

「聴く」の密度。言い換えれば「集中力」、それも猛烈な。
そりゃもう、「生きるか死ぬか」くらいのテンションで「聴く」のだ。

よく「メモを取らないんですね」とわたしは言われるのだが、それは違うのだ。
「取らない」のではなく「取れない」のだ。自分の能力の100%を使って
聴いている時にメモがとれる人も世の中にはいるかもしれないが、わたしには
絶対に無理である。書く言葉を考えている間、わたしは聴けない。

「聴く」のはもちろん言葉だけじゃない。

真意。
相手にどう伝わってほしいか。
どんな気持ちをその言葉に載せているか。
呼吸。
質感。
色彩。
皮膚感覚。
距離感。
時間感覚。

‥‥といった、いわゆる「ニュアンス」と括られやすいそれらの感覚たちも、
言葉と同時に‥‥いや言葉以上に「聴く」つまり「自分の内に取り込む」。

とにかく「聴く」が100%なので、演出家の言葉を聴いている間は
「今の言葉にはこの訳語を使おう」
「順番を少しだけこう変えて、理解しやすくしよう」
「ずいぶん長く喋ったな〜わたし全部覚えているかしら」
といったことも考えない。一切、考えない。
これらも「今夜はラーメン食べたいな」と同じくらい「雑念」であり、
浮かんだ瞬間に脳に蓄えた短期記憶の崩壊が始まる。

「雑念があると通訳が難しくなる」なんて生易しいモンじゃあない。
「雑念」即「崩壊」である。一切の「待った」はなし。一瞬の猶予もなし。

しかし、通訳の「少し忘れました」が許される場ではない。
演出家だってその芝居をどうしたらより良くできるかに脳の100%を
使っているので、自分の言葉なんて覚えてやしない。
非常に重要なキィワードですら、口に出したら最後、忘れていることが
ほとんどで、それはもうびっくりするほどだ。人間「考えたこと」と
「それを伝えるのに使った言葉」が違うことが多いから「考えたこと」は
覚えていても「それを伝えるのに使った言葉」は忘れていることが多い
のだ、それはもう、びっくりするほど。

面白い芝居の現場というのは常に「気」が生きて巡っている。
生きて巡っているから、一度掴み損ねたら、もう永遠に捉えることは
できない。その瞬間に生まれた宝が、役者の体感や観客の記憶に一生
刻まれるかもしれない宝が、通訳の手前で永遠に失われることになるのだ。

それは許されない。

ので、わたしはコンディションを常に100%完璧にして、脳も心も身体も
完全に空っぽにして、その宝を自分いっぱいに、余すことなく取り込むのだ。

そして取り込み終わったら、なぁぁぁぁんにも考えずに、話し始める。
訳し始める時に「全部覚えているかしら」とか「【dare】はどう訳そう」とか
考えていると、またもやいきなり「即、崩壊」が待っているので、とにかく
信じて飛び込む!というか、信じて走り出す!という感じだ。
(一番困るのは「長くなっちゃって。全部覚えてる?」と急に聞かれること。
「‥‥ええ。覚えてたわ、あなたが今そう聞くまでは‥‥」と答えたくなる‥‥)

しかし、訳し始めるや否や、脳も心も身体も、今度は「伝える」モードに
切り替わる。「ワーン!!!」と鳴りそうなほど、全てが一斉に動き出す。

引退するにあたり初めて分析したのだが、わたしの場合「稽古場で通訳をする」
ということは
「演出家の言葉を受け取りながら心や魂を最大限に震わせる」
「役者が最大限、心や魂を震わせられる言葉を選んで伝える」
の二つによって出来上がっているようだ。

「聴く」の時は脳も心も身体も空っぽにするわけだが、実はそれだけではなく。

全部の穴が全開、ぜぇぇんぶ裸だから、肌も、それどころか粘膜も全開、
心のガードやタガも全て外して‥‥つまりは完全なる「アホ」になって聴いて
いる。心も神経もびんびんわんわん鳴り響き、色んなところから色んなものが
溢れ出ても気づかないほどの、無我の境地。
(どうやっても表現がエロティックになってしまいますごめんなさい)

そして「伝える」の段になると‥‥

オノレの神経のびんびんと心のグワワワアァッを、聞いている役者の中にも
同じように呼び起こすために、身を削り心を削り命削って、言葉を選び取る。

演出家の息吹やふとした間合いや、一瞬俯瞰になったまなざし、何かを強調
するために悪戯っぽく立てた人差し指のジェスチャーなど‥‥全てを自分の
身体にまといながら。

ただいま帝国劇場で絶賛上演中の『ルドルフ THE LAST KISS』の演出家
デヴィッド・ルヴォーなどは‥‥このブログの「芝居とのなれそめ」(ここ
記事を遡ってみてください)にも書きましたが、彼が日本でtptという集団を
つくってすぐの時期に「これだ!この人だ!」と心酔したクチなので、彼が
発する言葉や感性の全てが大好きで大好きでここまできてしまったような
ものです。だから、彼の言葉や感性によって泣いたり笑ったり怒ったり、と
タイヘンなことになっている自分の脳や心や身体と同じくらい役者の脳や
心や身体を揺さぶりたい!という想いで言葉を選べるわけです。

これは「間に通訳個人の解釈を挟む」ということとは全く違うつもりです。
わたしが選んだ日本語を逆翻訳したら元の英語とこれといって違わない、
その程度の違いの中にも「人を揺さぶる言葉かそうでないか」の違いはある‥‥
それが翻訳、それが言葉だと、わたしは信じています。

そして、観客の心を動かす芝居をつくるために、板の上で物語を生きる役者は
最大限、めいっぱい、精一杯に、心を動かしてもらわなくては。。という考えが
その下にはあるようです。

‥‥と、気づけば「だ・である」と「です・ます」が混ざった変な文章になって
しましましたが‥‥

「通訳」における「聴く・取り込む」の部分は、肉体的で本能的で感覚的で
直接的でストイック。何というか‥‥「問答無用」で「言語道断」で「不動」。

対して「伝える」の部分は‥‥やればやるほどに綺羅星のような「言葉」を蓄えて
磨きをかけていく、豊かで深く、かつ生き生きとしなやかな時間でした。

デヴィッドと出逢って19年。
彼の元tptに丁稚奉公に入り演劇通訳の修行を始めて18年。
彼の通訳として通訳デビューして17年。

「聴く・取り込む」については、肉体と正気の限界までやり抜いたと思います。
もうこれ以上は無理です。これから先やっても通訳のクォリティかわたしの身体か
わたしの正気、どれかが壊れます。いや多分一斉に壊れ始めるでしょう。

そして「伝える」については‥‥デヴィッド・ルヴォーはじめかつてはわたしの
神さまのような存在だった演出家たちの感性や言葉を伝えるための感性や言葉を
かなり蓄積できたと、それは自分で思います。この部分については、続ければ
続けるほど蓄積し深められる、とも思います。

しかし。

わたしは1988年にミュージカル『レ・ミゼラブル』で1発めの、1991年の
ロバート・アラン・アッカーマン演出作品『蜘蛛女のキス』で2発めの、1993年
デヴィッド・ルヴォー演出作品『テレーズ・ラカン』で3発めの、衝撃を喰らう
までは「文章を書きたい」と夢見る女の子でした。

しかし演劇を通して、そして演劇通訳として生きてきた年月を通して、「生きた
言葉」「人に想いやイメージやメッセージを伝えられる言葉」「人を動かす言葉」を
学び身につけることができた気がするのです。

それを、もっとわたしなりに、羽ばたかせたい!

そのための区切りとして、こんなに長い文章をたくさん書いて、いわば「けり」を
つけているわたしなのでした。

‥‥すみません、多分もう少しだけ、続きます。→「その4」



薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# ツーヤク脳 その2
ちなみに「その1」はこちらに。

というわけで、怒涛&極限状態の『ルドルフ THE LAST KISS』初日までの日々を
命からがら生き延びると、わたしは演劇通訳から引退しておりました。

自分のブログなら、「自分語り」許していただけるでしょうか‥‥?

今回「演劇通訳を引退します」と公言しておりましたので、有難いことに
たくさんの方から熱心に「やめないで」と言っていただきました。
「次にデヴィッドが来る時はやるんでしょう?」とか。
「次にデヴィッドが来る時に困るじゃない!」とか。

確かに、次にデヴィッドが来た時に他の通訳さんが隣に立つことを想像すると
正直「渡したくない」とも「大丈夫?」とも思うのは‥‥これ本当でして。

でもね、やめねばならないと思っています。
やめないと、もうどーしても、前に進めない。

一つには、「その1」で書きましたが、「体力の限界」。

デヴィッド・ルヴォーと出逢って19年。
彼の通訳として通訳デビューをしてから、17年。
芝居は大好きだけど英語はそこまで得意じゃなくて夢見る乙女だった
わたしも、それだけの経験を積み、一人前になったと思います。
我ながら、わたしの中での最高峰を、極めたと思います。
世の中にはもっともっと優秀な方はきっとたくさん います。
でも、わたしはこれ以上いい通訳になることはできない。
これはきっぱり言いきれます。

「極めた」から、というよりも‥‥脳に短期記憶を一旦ためておく容量が
減っているのを感じるのです。
これまでのわたしだったら、稽古開始から2週間もすれば、全員の台詞を
覚えていました。
(多くの場合自分が台詞を翻訳していたから、というのもありますが‥‥)
それが、今回は全く。

完璧な状況で通訳できている場合、わたしはこれまでに1語より
多くの言葉を記憶から漏らしたことはありません。

「完璧な状況」とはつまり、「完璧に聴くことができる」と「通訳する
環境が完璧に整っている」の2つです。「通訳する環境」については「その1」
書いている通りです。

記憶から漏れた1語は、いわばビーズの一粒のような感じで‥‥一粒が
抜け落ちるとそれ以降は一切思い出せませんが、一粒を思い出しさえすれば
それ以降の記憶はそれこそ「数珠つなぎ」に、ザッと一気に思い出せます。

つまり「ここから以降が全く思い出せません」という漠然とした忘れ方は
わたし、一度もしたことがないと思います。

だからこそ、「完璧に聴ける状況」と「完璧な環境」を、わたしは何が何でも
死守してきました。外から見てその様子が大仰だと笑う人も時にいましたが、
そういった人は「完璧」を求められた経験がないのだと思います。

本当に素晴らしい演出家の稽古場は、まるで一つの生命体のように「気」が
常にいきいきと巡っています。「気」というのはデリケートなもので、
何分の一秒止まってしまっただけで死んでしまうものです。そして一旦
死んだ「気」を取り戻すのは本当に大変なことです。

だから、通訳が「忘れました」は絶対に許されません。

でも現実には、記憶のビーズが一粒どこかに行ってしまうことはたまに
あります。そんな時は物凄い高速で脳内を探しまわって見つけ出します。

たとえば『ルドルフ』の演出家デヴィッド・ルヴォーが行うような
研ぎ澄まされた稽古は、通訳の「忘れました」が許されるような、そんな
場ではありません。いや「許されるか許されないか」ではなく、稽古で
芝居の生命が途絶えていては、稽古が成り立たないのです。
最高の芝居がつくれないのです。

今回『ルドルフ』は3年ぶりの演劇通訳だったのですが、3年前の時は
常に常に「短期記憶の容量をキープできているのか」の恐怖に追い立てられる
ような稽古でした。

そこから更に3年が経過した今回はより一層、「短期記憶の容量」がキープ
できているかどうか、それはもう身がすくむような恐怖がありました。
しかし今回はどうにか、キープできたと思います。
記憶のビーズを2粒も忘れてしまうことは、今回もありませんでした。

「短期記憶の容量」というのはつまり、訳すフレーズの長さです。
演出家が完璧な状態で考えを展開するためには、ある程度長く話す必要が
あるのです。そして長く聴く方がわたしの理解も深まります。
(でもテンポよく進んだ方がいい場合も当然あり、この辺の判断も通訳の
腕の見せ所だし演出家との連携のしどころなのですが)

しかし、一度に通訳するフレーズが長ければ長いほど、当然通訳としては
ハードです。

実はわたしの自慢は、他ならぬジョン・ケアード氏に「こんなに長く話させて
もらえる通訳は初めてだ」と言ってもらえたことでして‥‥

「短期記憶の容量が大きい」というのが言わばわたしのウリでした。

しかし、その肉体的ハードさと緊張の連続に、わたしはもうこれ以上は
耐えられないと、今回つくづく実感しました。

今はどうにか出来ていても、これから先は、フレーズが短くなり、落っことす
記憶のビーズが1粒から2粒になり‥‥にいうふうになってくると思います。

そうなってからでは遅い。

だから、ここで引退するしかないのです。


しかしわたしが引退することにはより深い理由があって‥‥

「やりたいこと」「やるべきこと」「得意なこと」の違い‥‥とでも
云ったらいいでしょうか。

これまで「命がけ」くらい言いたいような思いをして、自分でない他の誰かの
言葉を伝えてきました。

例えば今回のデヴィッド・ルヴォーでしたら、わたしは彼の日本での最初の
信奉者、くらいな者ですので、彼の言葉を自分の肉体を通して伝えることは
この上ない勉強であり、歓びであり、幸せでしたし、ノウハウは本当に
たっぷり蓄積できたと思います。

でもわたしが一番やりたいことは、人の言葉を伝えることではありません。
「自分の言葉を伝えること」です。

彼の言葉の甘美に身を任せて19年もついてきてしまいましたが、そろそろ
自分の言葉のために、「やりたいこと」のために、自分の言葉を尽くしたい。
そう思っています。

それが「やるべきこと」でもあると、信じて。

今までは、あまりに「人の言葉を伝えること」に尽くしてきました。
そしていつしか、気づかないうちに「やりたいこと」をやらないでいる
言い訳にしていたような気がします。

自分としても、通訳を褒めていただいたり必要とされることは幸せだし
やめてしまうのは惜しいほど通訳が大好きだし得意だし我ながらウマイ!と
思ったりもするのですが‥‥笑

わたしは自分に甘いので、後に退けない状況をつくらないと新しい道には
進まないだろうことが自分でわかるのです。
世の中には演劇通訳しながら脚本書いたり演出したりできる人もいるかも
知れませんが、わたしには無理ですし。

人生はそれほど長くないので、「【やりたいこと】をやらなかった」という
後悔をするよりも、「結果はダメだったけど、やるだけやった!」と
思えた方が幸せだと思うのです。

演劇通訳としてなら世界最高峰の演劇人と仕事ができるし、帝国劇場の
舞台でライトを浴びることもできるし、豪華な食事をいただけたり、雲の上
だったような方とご一緒することもできます。

それらを全て捨てて自分の力、自分の感性、自分の言葉だけで勝負をして、
結果そういったきらびやかな世界にもう二度と戻れないとしても‥‥

美味しい想いは、充分しました。
演劇の訓練や場数は、わたし世界最上級に恵まれていると思います。
そんなわたしがわたしとして勝負してモノにならないなら‥‥わたしはそれまでの
人間だった。と云うだけのこと。

そういう線を引く前の最後の仕事が『ルドルフ』だったことは、最高の
幸運だとも、演劇の神さまのお告げだとも、思っています。

何しろ、19年もついてきたデヴィッド・ルヴォー、そして7年も組んできた
フランク・ワイルドホーンが、最愛の劇場である帝国劇場に集ったのです。
それも、この20年ばかりずっと追いかけてきたハプスブルク家の、
そして「革命」の、ミュージカル!
理想ばかりで動けずにいたルドルフが、もがき苦しんで立ち上がる物語。

ここで思いきらなくてどこで思いきると云うのだ‥‥!
むしろ、わたしのためのお膳立て‥‥?くらいな。笑

わたし薛珠麗、通訳は極めました!やり尽くしました!

デヴィッド・ルヴォーをはじめとした師の皆さまから渡された灯火を、
わたしなりに、掲げて、走って、渡していきたいと思います!

(続きます。→その3




薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 『ナイン』の夕べ
本日2つめの更新!

『ルドルフ THE LAST KISS』の演出家でもあるデヴィッド・ルヴォーは
2004年と2005年に『ナイン』というミュージカルを演出しました。
主人公の映画監督を、16人の魅力的な女性たちが取り囲む、大人の
ミュージカル。
ルヴォー版『ナイン』に出演していた女性たちを「ナイン・ガールズ」と
呼んでいます。
(わたしは勝手に「名誉ナイン・ガール」と自称しています。笑)

ナイン・ガールズ特有の素敵な瞬発力で、突発的なミニ同窓会を
開催しました。何と、招集は会の当日!

右から:『ルドルフ』振付補ニラン、高塚いおりさん、池田有希子ちゃん、
デヴィッド、宮菜穂子ちゃん、純名りささん、わたし。



写真では見えないかも知れませんが、もちろん大浦みずきさんも
一緒でした。この日がお誕生日だった礒沼陽子ちゃんも、きっと!

まるで『ナイン』の舞台そのもののように、愛とワインとハグとキスと
プロシュートと歌と踊りと LIFE が湧き出る泉のような、そんな集まりでした。

豊かな幸せの螺旋、この仲間たちとこれからも共に繋いでいきたいです。



薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# ツーヤク脳 その1
演劇通訳を始めて17年。

実は3年前に一度引退した。しかし引退試合になるはずだった舞台が
破談になってしまったため、区切りのないまま引退をする形に。
稽古中の『ルドルフ THE LAST KISS』は様々なご縁が呼び寄せてくれた
「花道」だと思ってやらせていただくことになった1本なのだ。

引退の記念に、愛して続けたこの職業のことを語って悪いことはなかろう。
自分のブログだし。

引退の理由は「年齢による体力の限界」というヤツだ。
これ言うと大抵「まだ若いじゃないですか!」と言っていただけるのだが、
それには「サッカーは幾つでも続けられるけど、日本代表にいつまでも
いることはできないじゃないですか」という言葉を返すようにしている。

これは実はちょっと違うのだけど、「わたしは自分がトシだと言っている
のではなく、演劇通訳がそれだけ大変だと言っているのだ」ということが
伝わりやすいので、相手を納得させ黙らせるには、非常に便利な説明。

他の演劇通訳の方はどうかわからないが、とりあえずわたしにとっては、
この仕事は40代以降続けられる仕事ではない。

とりあえずまず、稽古場で通訳している際の決め事を書き出してみる。

朝ごはんは絶対に食べる。
時間は、稽古場入りの3時間前。
メニューは毎日、必ず同じものを。


通訳している時の飲み物、以下NGをリストにしてみる。

× 水       (ぬるくなると苦みが出て喉に引っかかる)
× コーヒー    (わたしはカフェイン酔いする体質)
× ウーロン茶   (喉が焼けちゃう)
× 緑茶      (渋みが喉に引っかかる)
× スポーツドリンク(トラウマがあって飲めない)
× 炭酸      (むせやすいのでNG)
× 果汁100%  (濃すぎて喉にからむ)

言っておくが、この中で「好き嫌い」は強いて言えば「スポーツドリンク」
くらいで、後は「これを飲んでいたら通訳ができない」のである。

それでもたまに「すみません、これしかないもので」とコーヒーを
出されたりするのだが、ハーフタイム中のサッカー選手に同じ言葉を
言ってコーヒーを出すことがないのと同じで、飲み物は「好みのものが
あるとありがたい」ものではなく「ないと通訳ができない必需品」なので
どんな現場にも飲み物は自分で持っていく。「合うものがなかった」では
済まされないからだ。

ちなみに「合うもの」とは:

柑橘系ニアウォーター(「ビタミンレモン」「いろはす みかん味」など)
紅茶

の2点なのだが、紅茶でもペットボトルや缶のもの、レモンティ及び
コーヒーミルクを入れた紅茶はイガイガしすぎて喉に引っかかるのでNG。
柑橘系ニアウォーターもグレープフルーツは喉に絡むのでNGだ。

基本は柑橘系ウォーターで、夏以外の季節はそれにプラスして紅茶。

以上の飲み物は通訳の仕事の時は必ず必要。

稽古場での通訳をしていると、そのうち柑橘系ウォーターとミルクティでは
足りなくなって、梅こぶ茶が加わる。

この3つを必ず決まった場所に順番に置いて、見ないでもワンアクションで
手に取れるようにセットしておく。

演劇通訳は妙に喉が渇く仕事だ。
他人の言葉を自分の口から、それも物凄い信念を込めた言葉にして出すので、
その違和感を飲み物でリセットしている、という気がする。


さて、稽古場ではお菓子も必需品だ。

基本はのど飴とチョコレート。

のど飴は梅、或いは(グレープフルーツ以外の)柑橘系。
ミント系は、刺激が口の中で主役になりすぎるからダメ。

チョコレートはギャバのビターか、BABYクランキー。
疲れてくるとアーモンドチョコについ手が伸びる。
チョコはもう、物凄い勢いで食べる。
アタマ使うと血糖値が下がるということで、脳に直接栄養補給している
感じだ。聞けば、チョコレートはどの業界の通訳さんの間でも常識らしい。
物凄い勢いで食べるので凄いチョコ好きと思われるのだが、実は
わたしは普段はチョコレートは一切くちにしない。むしろ苦手な食べ物だ。
バレンタイン直前のチョコまみれのデパ地下などは、甘い匂いだけで頭が
痛くなる方なのだ。

稽古が進むと、この2点に甘い干し梅と酸っぱくない昆布が加わる。
末期になると、「するめチップス」というヤツがラインナップに加わる。

役者の皆さんが一生懸命芝居している前で申し訳ないのだが、稽古の通訳を
しながらわたしは以上のお菓子を順繰りに食べる。甘ったるい甘み、
すーっとする甘み、甘酸っぱさ、塩辛さを順繰りに食べて、アタマや感覚を
味覚で刺激し、かつ何かの後味が突出しないよう調整もしている。

どのお菓子も、やはり見ないでもワンアクションで手に取れる位置に順番に
セットする。個別包装は絶対にNGだ。

繰り返しになるがこれらは「嗜好品」ではなく「必需品」なので、稽古中に
足りなくなることなど絶対にないように気を配っているため、絶対に人には
分けない。

たまにおどけて「くれないなんてケチ〜!」みたいに人がいるが、わたしが
お菓子を食べるのは楽しみのためでは全くなく、通訳をするためだけなので、
表面上は笑って「あげなーい♪」とかやっているが、心の中では「じゃあ
代わりに通訳してくれます?」と凄んでいたりする。

休憩中には稽古場のお茶場の周りをうろうろしてお菓子を物色する。

どうもこれは、色んな味覚で感覚を刺激しておきたいということのようだ。

その証拠に、感覚を刺激するより集中することに全神経を使いたいような
時は、お茶場のお菓子どころか、隣の席に座る演出家から何かを勧められても
絶対に食べない。そんな状態の時には、イレギュラーな味覚が身体に入ると
気が散る恐れがあるからだ。


稽古では最初の休憩にお昼を食べるが、これも毎日絶対に同じメニューだ。
「今日はお昼が少なめだったからおなか空くの早いな」という少しの隙も、
通訳のクォリティに関わってしまう。普通の人間としてだったら少しくらい
お腹の減りが早いくらい当然我慢できるが、稽古で通訳をしている時は
1カロリーの余裕もないギリギリ状態なので、少しの空腹で通訳の質、
スピードや言葉選びの精度が落ちるのが自分でわかるのだ。

今回の『ルドルフ』の稽古では、「焼きたらこ」ともう一つ別のおにぎり、
の計2個のおにぎりがお昼ごはん。
昼食メニューの1/2をフィックスしないのはわたしにとって初の試みだ。
どうしてこうしたかというと、駅から稽古場まで歩く時とタクシーの時とで
寄れるコンビニが変わってしまうから、どちらのコンビニで買いものしても
対応できるように、フィックスをしないでおくことにしたのだ。

おにぎりの具にもこだわりがあって、しゃけだけは絶対にNGだ。
間違って骨が混じりでもしていたら、食べている真っ最中に通訳する羽目に
なった時(よくあることだ)喉に引っかかって取り返しがつかないことに
なる。

常にギリギリの状態で通訳しているため、休憩が遅れて食事ができない
と如実に通訳の質が落ちる。余力は全くないので、気力でカバーしていても
すぐ限界がくるため、わたしは演出家に「休憩を下さい」と正直にお願いする。
通訳の質が落ちると稽古の質が落ちる。わたしが休憩をお願いするのは
自分のためでなく稽古のクォリティのためだと、もう限界を越えて気力だけでは
どうにもならなくなったからだと、演出家もわかっているので、今まで
このお願いをして退けられたことは一度もない。


稽古場での席も大切だ。
わたしの定位置は、まるで「良き妻」のように、演出家より一歩離れ、
一歩下がった位置である。
右か左に法則はないが、稽古初日に左に座ったら、絶対に初日まで左で通す。
長く通訳した演出家でいうと、デヴィッド・ルヴォーの通訳をする場合は
ほぼ必ず彼の左だ。右耳で聞いて左脳で処理することが多いのかもしれない。
対して、やはり長く通訳したロバート・アラン・アッカーマンの場合は
彼の右が多い気がする。左耳で聞いて右脳で処理していたようだ。

稽古場では、あまり離れていても近すぎても通訳ができない。遠いと呼吸が
聞こえないし、近すぎると逆に「一体化」が難しくなる‥‥というのは何とも
不思議な話だが。

たまに誰かが軽い気持ちでわたしの席をずらそうとすることがある。
わたしが自分の席を置いた場所は「他の位置でも通訳ができるけど、たまたま
そこに置いた」ではなく「他の場所だと通訳ができないからそこに置いた」ので、
それはもうどんな理由があろうと、元通りの場所に置き直させてもらう。


以上のような物理的な決め事以外にも、「演出家と情報を全て共有する」と
いった決め事ももちろんある。
演出家の周りで起きる一切の過程を全て知っていないと正確に訳せないので、
全ての稽古や打ち合わせに立ち会うのはもちろん、理想的にはその演出家の
過去の仕事や日本との関わりも全て知っていた方がいい。
その点、今回の演出家デヴィッド・ルヴォーとtpt時代から17年一緒に
やってきているわたしは、色々な共通認識があって、それが大いに役に
立っている実感がある。


「演劇通訳」というと「専門用語とかが大変ですよね」とよく言われるのだが、
演劇の知識があるのは当たり前で、演出家が描いているヴィジョンとか、
脚本の読み込み、たとえとして出される映画や絵画や宗教、演出家の本国での
価値観、スタッフとのコミュニケーションの取り方、俳優とのコミュニケーションの
取り方(この2つは違うことが多い)、全てにおいて演出家と同程度の知識や
場数が求められる仕事である(‥‥実際に持っているかどうかは別の話だが)。


ベニサン・ピットでやっていた頃の稽古場でお願いしていたのは、稽古が進行中は
「音」をいっさい立てないこと。

これはまず演出家の要望であり、次にわたしの要望であったのだが。

「私語禁止」は当然で、打ち合わせやちょっとした確認なども、稽古場の外や
休憩中、稽古の前後などにお願いしていた。
ドアの開け閉ても、台本のページを音を立ててめくることも、足音も、
全て禁止。もちろん携帯の電源は切っていただくし、やきいも屋や消防車や
選挙カーが来たら、通り過ぎるまでしばし待機だった。わたしの席が窓際に
あった時、夕立の際などは雨樋の音まで訳しそうになって、この時ばかりは
どうしようもなくて本当に閉口した。


‥‥長くなってしまった。続きはこちらに。



薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 礒沼陽子さん (拍手コメントへのお返事を追記)
礒沼陽子ちゃんが亡くなった。9月20日の未明のことだ。

ご病気されていたことを全く知らなかったので、まさに青天の霹靂だった。

陽子ちゃんとは、18年前、tptの第1回ワークショップで知り合った。
のちに13年を過ごすことになるtptで、初めて出来た知り合いだ。
陽子ちゃんは控えめでシャイだったけど、年も近いし、すぐに仲良くなった。

陽子ちゃんは美術助手としてtpt初年度から関わっていたが、わたしは
知り合った翌年、tpt2年めから制作助手→美術家の通訳→演出家の
通訳として参加した。お互いに丁稚奉公のような立場だったので、共に
今は亡きベニサン・ピットで昼となく夜となく駆けずり回ったものだ。

特に、tpt芸術監督(当時)デヴィッド・ルヴォーの演劇上のパートナー
であった美術家ヴィッキー・モーティマーの助手そして通訳として、
その仕事ぶりに共に触れ、共に刺激を受けたことは、言葉に尽くせぬ財産だ。

中でも思い出深いのは1995年の『近代能楽集〜葵上/班女』だ。
わたし個人にとっては、この時が演出家の通訳デビューだった。
また、それまでヨーロッパ(といってもノルウェーとロシアがあったけれど)
ばかりだったtpt作品にあって、この時は初めての日本人作家による作品。
しかし作家三島由紀夫が書いたト書きをそのままではなく、根本的な意味で
現代化した作品世界を形成したい、というコンセプトがあったこともあり、
作品世界を創り出すのに相当な試行錯誤を要したことが記憶に鮮やかだ。
(「試行錯誤」とはつまり、演出家美術家のビジョンを具現化するにあたり、
そのイメージを掴むための共通言語を作ることにそれまでより時間が
かかった、という意味なのだが。)

「病院で使うシーツを600枚集めてほしい」とか
「【日本最古の女】が着ていたような着物がほしい」とか
そういったような要求を、舞台監督の小川亘さんと共に、若き美術助手と
駆け出しの演劇通訳は、稽古終了後もベニサンに残って一つ一つ検証したり
「現実」や「日本人の感覚」と摺り合わせたり‥‥
要するに、延々と頭を悩ませつつも、一つ一つ現実に、近づけていったのだ。
わたしにとっては「創作」というものの根幹と関わる、初めての機会だった
ような気がする。

陽子ちゃんとはそんな時間をたくさん過ごしたり、美術家ヴィッキーと時には
色んなところに買い物に出かけたり大道具の発注に行ったり。。年に4本とか
3本という改めて考えるとかなりのハイペースでそんな濃密な経験を重ねた後、
陽子ちゃんは一旦、ロンドンに旅立った。
権威ある舞台美術学校 Motley Theatre Design Course に留学するためだ。

陽子ちゃんのロンドン留学に合わせて、というわけではないが、この時期に
友人たちとヨーロッパ一周旅行を計画した。友人たちがそれぞれの都合のいい
時に合流したり帰国したりする自由な旅行で、ルートはロンドン→ヴェネツィア
→ウィーン→ミュンヘン→パリ→ロンドン。(ただし1人は旅慣れた強者で、
この前後にアメリカに寄って「世界一周」というのをしていたが!)

ロンドンではみんなで陽子ちゃんのロンドンの自宅にお邪魔し、ウィーンと
ミュンヘンでは陽子ちゃんも合流して、総勢何と7人という大所帯になった。

ロンドンの陽子ちゃんの自宅には3人で押し掛けたのに快く泊めてくれて、
そればかりか手料理でもてなしてくれて、その手料理のあまりの美味しさと
お部屋のあまりのきれいさに、女3人で感動するやら我が身を恥じるやら。。
持参したお金が全てミュージカルのチケットに化ける貧乏旅行だったので、
陽子ちゃんのおうちでは本当に夢のような時間をすごさせていただいた。

その旅行はちょうどクリスマスの時期だったのだが、イヴは7人で、
ミュンヘンで迎えた。みんなでホテルの部屋でクリスマス会をして、
プレゼントをクジで決める大交換会を開催、大騒ぎをしたのが懐かしい。

陽子ちゃんが1年間の留学から帰国する前に、ちょっとした事件があった。
tptで『イサドラ〜When She Danced』を公演した時だ。

以前ロンドンで上演されたことのあるこの舞台、美術はロンドン公演と同じ
Bob Crowley がつとめた。しかし、日本版はベニサン・ピットと新神戸
オリエンタル劇場、とサイズや形の非常に異なる2つの劇場で公演するという
こともあり、同じデザインをかなり綿密に組み直す必要があった。
当時も現在でもまさに世界第一線の舞台美術家の仕事ということで、先方が
指名する美術助手に模型を依頼することとなった。美術家の言う「第一級の
美術助手」とはどんな人だろうと少々緊張しながら準備を進めていたのだが、
蓋を開けてみると、何とその「第一級の美術助手」とは、美術家 Bob と
同じロンドンにいた、陽子ちゃんのことだった。
ところで、もちろん Bob は陽子ちゃんがtptと関係の深い人物である
ことは知っている。だから敢えて、正式な手順を踏んできちんと迎えようと
気遣ったに違いない。

実はこの Bob Crowley という美術家は、絵を描いていた陽子ちゃんが
舞台美術を志すきっかけとなった舞台美術家なのだそうだ。
陽子ちゃんはずっと彼を「神さま」と呼んで、機会あるごとに、どれだけ
彼の作品が凄かったかを力説していた。

その「神さま」によって大絶賛のお墨付きをもらった模型は日本に届けられ、
それを元に『イサドラ』の目も覚めるようなウルトラマリンといぶしたゴールドの
セットは建てられた。

巨匠がかくも正式な手順を踏んで指名した助手が陽子ちゃんであったこと、
陽子ちゃんが「神さま」に手放しで認められたこと、は大きな驚きだったし、
喜びだった。

そんなことを経て1年の留学を終えて帰国した陽子ちゃんのその後の活躍は、
もはやわたしの説明など必要としない。

tptに限って言えば、それまで朝倉摂氏や Bob Crowley としか組まなかった
ロバート・アラン・アッカーマンが、そしてヴィッキー・モーティマーとしか
組まなかったデヴィッド・ルヴォーが、陽子ちゃんと組んで舞台をつくるように
なるまで、全く時間はかからなかった。

わたしもわたしなりに戯曲翻訳や演出に進出させていただいたが、tpt
以外でも大きな舞台や小さな舞台、様々な演劇人と組んで鮮やかな印象を
残し、賞もどんどん受賞していった陽子ちゃんのご活躍には、本当に足元にも
及ばない。

一昨日と昨日、つまり2011年9月23日と24日、陽子ちゃんの
お通夜と葬儀告別式に参列して、わたしはその思いをますます強くした。

斎場は、陽子ちゃんと最後のお別れをしようとする方で、受け付けをする
ためのエレベータにも行列する、という状態だった。
祭壇を囲むように並べられたお花には、紀伊國屋演劇賞か読売演劇大賞か、
と見紛うばかりの名前がズラリと並んでいた。

陽子ちゃんが関わったプロデューサーさんたちはもちろん、tptで共に
舞台をつくったプランナーやスタッフの皆さん、陽子ちゃんと同じ舞台美術家の
皆さん、俳優の皆さん。。わたしにとってお通夜はまるで同窓会のようだった。
陽子ちゃんだけがいない、同窓会。

通夜ぶるまいの会場では、陽子ちゃんの作品が幾つか展示してあった。
作品リスト、舞台写真や図面、衣裳デザインと衣裳を着た出演者の写真などの
パネルが何台かと、セット模型が4つ。

4つのうち2つが、わたしも一緒にやった作品だ。

1つが特に思い出深い。1999年tpt『橋からの眺め』。
1950年代のブルックリンのアパートを再現したセットは、床や石畳の
質感や、上階を感じさせるスケール感、階級や暮らしを生々しく感じさせる
ディテールがリアルのみならず、映画的に場所が飛ぶかと思えば
回想の中で時間が飛ぶという演劇性も必要な難しい戯曲(そして演出)に
応える抽象性も兼ね備えた、秀逸なセットだった。

会場に飾られた模型は、質感やディテールも見事に再現してあった。
礒沼陽子のセットを「細かい」と言う人は、一度その模型を見てみるべきだと
わたしは思う。

この作品の1回めの美術ミーティングが、わたしは忘れられない。
演出家アッカーマンが「ここの壁はこういう感じになったらどうだろう」
というようなリクエストをしたところ、見事に作り込んだその壁の模型を
陽子ちゃんは「こう?」とベキッとへし折り、ハサミでジョキジョキと整え、
模型の中に置き直して見せた。驚いたのは演出家だ。いいのか、と問う
演出家に、陽子ちゃんは「だってもういらないでしょ」と微笑んだ。
演出家は「勇敢な人だね」と思わず陽子ちゃんをハグした気がする。

久しぶりに再会した模型の中の、質感やディテールも完璧で複雑な手すりまで
ついたその壁を見て、そんなものをその場で切ってしまう陽子ちゃんの豪胆さに、
わたしは久々に惚れ惚れし、そして、嗚咽した。

隣に飾られていたのは、同じく1999年、tpt『令嬢ジュリー』だ。
このセットは、家具や小道具などはリアルながら、壁はぬめぬめと有機的に
光る金色で、まるでどこまでも続く洞窟のような形をした部屋になっていた。
女体の奥底が秘める血みどろな業をそのまま具現化したような、そのセット。

模型の隣の舞台写真に、鳥のモビールが映っている。
このモビールは、舞台稽古になってから(つまり開幕も間近になってから)
演出家ルヴォーがリクエストしたものだったと記憶している。唐突な
リクエストに、陽子ちゃんはびっくりするほど即座に応えた記憶がある。
写真の中で、モビールに吊られた鳥たちは白く清らかに飛んでいる。
しかし、鳥たちの投げかける影は、まるで部屋を覆い尽くす幽霊のように
ゆらゆらと揺れていた。そんなふうに記憶している。
主人公ジュリーの可愛がっていたペットの小鳥がまな板で首を斬られて
殺される、という残酷な場面が主人公の行く末を暗示するこの戯曲に、
何とぴったりな、鮮烈なイメージか。
演出家デヴィッド・ルヴォーと、舞台美術家礒沼陽子と、照明家沢田祐二に
よる、類い稀なるコラボレーションの賜物であった。
この舞台写真は、お通夜と葬儀告別式に参列した全員に贈られた。

思い出深い、そしてそれ以上に素晴らしい珠玉の作品の記録が、そこには
たくさん並んでいた。そして驚くほど様々な顔ぶれが、その前で陽子ちゃんの
仕事を振り返って泣き、ため息をつき、時に笑って、そしてお互いに
寄り添い合った。

42歳、と人としても女性としても演劇人としても、まだまだこれからの
年齢だと、同世代のわたしですら(!)思う。でもこの若さでこれだけの
作品を世に送り出し、これほどたくさんの、そして多岐にわたる人々に、
惜しまれる人が他にいるだろうか。

他にはいない。
そんな人は陽子ちゃんたった一人だけだ。
礒沼陽子は本当に、唯一無二の存在だ。

間近で見る演劇人としての陽子ちゃんが、とにかく粘り強くてとにかく
(いい意味で)物凄く頑固で、誰よりもとにかく働いたことであるとか。

友としての陽子ちゃんが、いつも親切で義理堅くて、びっくりするくらい
揺るがない器を持った人であることとか。
ベニサンでの稽古の帰り、東京駅のコンコースのカフェで恋バナや
悩み相談やバカ話をしては、それぞれの終電で帰った日々だとか。

人としての陽子ちゃんが、本当に素敵なご家族といつも仲良く過ごされて
いたこととか。
(礒沼家の皆さんといったら、わたしがいた頃のtptの名物一家だった
のだ。初日前、仕込みの時期になると、それはもう豪華で美味で、
可愛らしいかごに美しくラッピングまでされた、名物手作りカツサンドを
届けてくださったものだ)

女性としての川本陽子ちゃんが、優しいご主人と本当に素敵なご夫婦で
羨ましいばかりであったこととか。
みんなで新居に押し掛けては惚気られていたこととか。

本当に、尽きない。
本当に、信じられない。

お通夜でも、葬儀告別式でも、その後に友人知人たちと交すたくさんの会話でも。

とにかく、元気でいようと。

一本一本、大切にしようと。

「また一緒に、芝居しようね」と。

そればかりを、誓い合った。

「陽子ちゃんの代わりに」とか「陽子ちゃんの分まで」なんて、とても、
言えないけれど。

だって、悔しいじゃないか‥‥!

喪主の挨拶でご主人がおっしゃった「持ち前の強い意志」「完全燃焼の人生」が
忘れられない。

いや、忘れてはならないと思う。

「陽子ちゃんに負けないように」は絶対に無理だから、せめて
陽子ちゃんに笑われない程度、恥じない程度に。

‥‥といったって、それだってわたしには大変なのだけど。

見ていてね、陽子ちゃん。
これからも、いつまでも。
あなたの背中、追いかけて走るから。

演劇人の性だろうか。
仏式の葬儀告別式ゆえ機会がなかったけれど、わたしは陽子ちゃんに
拍手を贈りたかった。
陽子ちゃんの思いをしっかりと届けてくださった、ご主人にも。
走り去る陽子ちゃんを、わたしは拍手で見送りたかった。
その時にはできなかったけれど。
合掌の代わりに、惜しみない拍手を。

礒沼陽子ちゃんに、惜しみない永遠の、拍手を。

(敬称略)


薛 珠麗(せつ しゅれい)Shurei Sit



拍手にいただきましたコメントへのお返事を、続きに追記しています。
(2011年10月11日)

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