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薛 珠麗(せつ しゅれい)のブログ
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# 2013年 明けましておめでとうございます!
西暦2013年が明けました!

明けましておめでとうございます!
世界中がお互いにぎゅうぎゅうに関わり合って「生きてるぅ〜」と
実感できるような、そんな濃〜い1年になりますように!

本年も何とぞよろしくお願い申し上げます m(_ _)m

2012年お正月は喪中だったので、新しい年を祝うのは2年ぶりです。
「おめでとう」というやりとりができること自体の幸せを噛みしめる、
2013年お正月です。

しかしそれだけでなく‥‥説明がつかないくらいの意気揚々とした気分で
新年を迎えました。こんなに清々しい気分のお正月は久しぶりです。

色々なことが動き出した2012年でしたが、わたしはこう見えて(どう見えて
いるのかわかりませんが‥‥)物凄い暢気者なので、「動き出したなぁ」と喜んでいる
間にまた停滞しかねないので、常に【攻め】の姿勢を保ちたいと思います。
1月はまず、そのための態勢を整え準備をして、大志を抱いて作戦を練る時間に
なりそうです。

意気揚々と年を越したのはそのせいかもしれません。

実は、暮れも押し迫った時期に、何だか夢のようなお話をいただいたので‥‥
願わくは夢に終わらないよう、できることを最大限、やろうと思います!

こちら、2013年の初日の出。




そしてこれは、初詣での帰りに見えた景色です。
2013年最初の夕闇です。





薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# ありがとう2012年!

節目となった1年が暮れてゆこうとしています。

2012年はわたしにとって、【自分の足で立つこと】を決めた
1年になりました。

大きかったのはやはり『ルドルフ ザ・ラスト・キス』をもって
17年間続けた【演劇通訳】(【通訳】は18年やりましたが)を
引退したことです。

しかしそれ以外にも、人間としても演劇人としても、ひとつひとつ
悩んで、時には苦しんで、探して、本当に一つ一つゆっくりとですが、
自分で納得できる道をみつけて一歩一歩、踏み出した1年でした。

今までは「今年は新しい一歩を踏み出す1年になりそうです」と
新年に書くことが多かったわたしですが、今年は大晦日に
「今年は新しい一歩を踏み出した1年になりました」と書けることが
嬉しいです。

今年関わることができた全ての大好きなものたち、大好きな人たちに、
ありがとう。
今まで出逢うことができた全ての大好きなものたち、大好きな人たちに、
ありがとう。

たくさんの愛を浴びて自分は今ここにいるなぁ、としみじみと思います。

ありがとう。



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# きりん
2012年9月20日は、舞台美術家でわたしの大切な仲間である
礒沼陽子ちゃんがその昔送ってくれたきりんの絵はがきを壁に飾った。

「きりんの絵はがき」といっても、いわゆる出来合いのポストカードではなく、
陽子ちゃんのきりん画入りの、年賀状だ。

その昔、「プリントゴッコ」で作成した年賀状のやりとりが一般的だった頃。
絵を描くプロの方の手作りの作品が送られてくるのが、普通だった頃。

素晴らしい舞台美術家である陽子ちゃんのもう一つの顔は、
「きりん画家」なのだ。

陽子ちゃんはきりんに対して、それはそれは熱くって、驚くくらい。
「アフリカに行ったわけでもないのに、お土産がきりんグッズ」
「いや、どこに行ってもお土産はきりんグッズ」
という伝説があったくらい。
いったいきりんグッズなんてどこで売ってるんだー!
わたし、きりんグッズなんて人生でそんなに目にしたこと、ないぞ。

やっぱり愛があると違うんだなー。

きりんの話をふると後悔する、という噂だったし、きりん語りはいつも
やんわりとかわしていたような気がする。
ちゃんと聞いておけばよかったなぁ。
とても残念だ。

陽子ちゃんのきりんはかなりリアルで、骨格や筋肉をしっかりと感じる、
「イラスト」っぽさが少しもない絵だけど、でもとっても可愛いのだ。
背中からしっぽへのラインがすんなり、いや少し「へなっ」って感じに
落ちていって、また長い足へと踏ん張っていくあの感じとか、ホント絶妙。

優しい表情のきりんはふんわりした色合いで、
大地に立って太陽をみつめるきりんは、アフリカの土の色で、描かれてる。

陽子ちゃんのきりん、しばらく飾っていよう。


薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)


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# これまでとこれからの交差点で。

初日間近の『ルドルフ』演出家デヴィッド・ルヴォーが撮ってくれた
昨日のわたしです。

「19年の愛と感謝を込めて‥‥」という言葉と共に
贈ってくれました。

大好きな写真です。






薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 美しき休日
今日は『ルドルフ』の稽古休み!

心ゆくまで眠って昼すぎに目を覚まし(ああ夢のよう‥‥)ハハと2人でお出かけ。

まずは、横浜そごうのそごう美術館で開催中の『京都 細見美術館展 Part鵺
琳派・若冲と雅の世界』へ。→

最愛の伊藤若冲を幾つも所蔵している細見美術館には何度も足を運んでいますが、
こんな近所に来てくれたとあっては行かなくては!

細見美術館の所蔵品の中では一番気に入っている『糸瓜群虫図』が来ていないのが
残念ですが、関東ではほとんど見る機会のない鶏の墨絵と久々に再会できたのが
嬉しかったです。

植物が大好きなハハは抱一や基一のお花の絵がとても気に入ったようです。

横浜そごうでは他に、お気に入りのスカートとの運命の出逢いもしました。
そごう美術館に向かう途中のエスカレータから遥か彼方に見えたマネキンが
着ていたスカートのラインがあまりに美しくて、一目惚れです。若冲を見た帰りに
試着して、お買い上げしました。わたしにはちょっと贅沢なお値段でしたが、
こういう一目惚れって従っておいて損はないと思うのです。
もう、365日着たいほどのお気に入り!

帰り道に、ホテル・ニューグランドの「ラ・テラス」に立ち寄って、アフタヌーン
ティをいただきました。



中庭を見渡すテーブルで、お店の自慢の美味しい紅茶と、ティースタンドに
盛られたサンドイッチやスコーンやケーキ、フルーツをいただきました。

稽古で忙しいわたしのサポートをあらゆる形でしてくれているハハへの、
ささやかな親孝行です。

帰宅後は仕事もしたので、充実の休日になりました。

さぁー明日からまた頑張っていかなくてはっ!



薛珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 櫻の日その2 野川の櫻
母校をお散歩した後、バスを乗り継いで野川へ。

母校に遊びに行くことは2日前から決めていたのだが、前夜になって
知る人ぞ知る一夜限りの夜櫻ライトアップが開催されると
聞きつけたのだ。

滅多に行かないエリアだが、大学からはすぐ近くなので、
足を運んでみた。

ライトアップされた櫻を一目見て感服。なるほどこれは凄い!!!!!

何でも野川の櫻は、近くにある照明機材の会社が社員の花見用に
櫻の木を一本ライトアップしたところ、それが住民に好評で、
一本また一本と櫻が増えていき、今では全長650メートル、
100本以上のソメイヨシノをライトアップする地域の一大
イベントと化したとか。しかも使用しているのは自社が持つ
映像撮影用の照明機材で、水に弱いことと、一番櫻が美しい
夜に一晩だけ実施するということで、何と開催の告知が前夜。
それから会社はもちろん地域総出で仕込みをして開催する、
という何だか色々と凄いイベントなのである。

周囲は武蔵のよくある住宅街なのだが、そこだけいきなり
別世界だった。撮影用照明のもの凄く強烈な明かりに照らし出される
ひとつひとつの櫻の花の、鮮烈な存在感!

スマートフォンとデジカメで撮った写真が少しあるので、
雰囲気だけでもお楽しみください。

いずれも、クリックすれば少し拡大されます。

こちら、スマートフォンで撮った写真。




こちら、デジカメ。

よーく見ると櫻吹雪が写っている写真も。。


















昼の櫻と夜の櫻をおなかいっぱい楽しんだ、誕生日イブ!



薛 珠麗(Shurei Sit せつ しゅれい)


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# 櫻の日その1 母校の櫻
わたしは櫻が満開の日に生まれたのだそうだ。

そのせいか、花の中でも櫻は特別な存在。
近年はちょっと足をのばしてでも櫻を愛でるための小旅行に
出たりすることも多い。

わたしの誕生日というのが実は今日なので、南関東の櫻の時期としては
かなり遅い。二十歳の誕生日にもやはり満開だったのだが、
テレビで「20年ぶりに櫻の開花が遅かった今年」というようなことを
言っているのを聞いて、何だか訳もなくわくわくしたのを覚えている。

ところでわたしの母校である国際基督教大学は、実は櫻の名所だ。
戦前戦中に戦闘機をつくっていた研究所の跡地を利用したキャンパスには
600メートルの滑走路があった。戦後、校門とキャンパス内を結ぶ
並木道になったそこに植えられた櫻の木は、99本とも言われる。

二十歳の誕生日に滑走路(と、母校では今も呼ばれている)を歩いた時は
衝撃だった。青空の美しい日で、風に重そうに揺れる櫻の枝えだが
アスファルトに淡い櫻色の仄かな影を落としているのを、わたしは確かに
見た気がする。

わたしの二十歳の年ほどは櫻が遅くなかった今年の4月10日、久しぶりに
母校の櫻を見に出かけた。

実は在学中も1度しか見たことがない、母校の櫻。
(だって誰が櫻を見るためだけに、春休み中の大学に行くものか!)

しっかり天気予報を確認して出かけたのに、残念ながら花曇りであった。



これは滑走路のずいぶん途中から撮った一枚だ。
それでもこの延々っぷり。



櫻は美しいのにこの静けさ。まさに「穴場」。




まさに満開!この写真は比較的、櫻色がきれいに出た。


大学は、卒業以来だ。
いやむしろ、卒業するのに最っ低限必要な用事でしか行かなかったので
卒業式にも行かず卒業証書を取りにすら行かず。

久しぶりに通学ルートを辿ってみた。
かつて使っていた東横線桜木町駅は、もう存在しない。
しかし、吉祥寺からのバスの乗り場は本当にそのままで、びっくり。



滑走路の奥に、つまり校門から600メートルのところにロータリーが
あったのだが、それより手前、滑走路の途中に「新ロータリー」というのが
出来ていた。やっぱり600メートルぶっ通しでズドーンとあるのは長すぎたか!
新ロータリーの向こうには車が入れなくなっていた。つまり、
滑走路の最後1/4くらいは、歩行者天国!後輩たちが花吹雪の中、
気持ち良さそうに自転車に乗っていた。



中島飛行機時代からの建物だった本館は改装されていた。ちょっと残念。



しかし、愛しのバカ山は昔の通り!やっぱりICUは「Isolated Crazy
Utopia」の略なのだからして(笑)



食堂は変わってしまったけれど、チャペルはちっとも変わらない。

在学時は本館からD館の前を抜けて食堂へ抜ける道は林に囲まれていて、
ちょっとした高原のペンションのような景色だったが、わりと普通の
公園のような雰囲気になっていた。写真は撮っていない。
学食では、昔は一切口にしたことのなかったカレーなど食べてみた。

花曇りだったので櫻色の影をみつけることはできなかったけれど、あたたかな
風の中で花吹雪がとめどなく舞い続け、アスファルトの上を転がり続け、
それはそれは美しかった。

都会から隔離されたような静かで広大なキャンパスの中、延々と続く並木道を
歩き続けながら、自分と語り合い、将来の自分を滑走路の向こうに見出そうと
していた、大学時代。その気持ちは、案外、覚えているものである。

それとも、その頃とちっとも変わらない櫻のおかげか。

全く衰えていない土地勘に驚きながら__というより、そんな昔の土地勘が
そのまま通用する土地柄に驚きながら、次の目的地へ向かった。


続く。



薛 珠麗(Shurei Sit せつ しゅれい)
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# 帰らぬ旅人へ
このような内容が続いて恐縮だが、実はこの夏、父親が亡くなった。
その父親の告別式並びに百箇日法要を、10月3日に行った。

なぜ通常通りに亡くなって数日でお通夜、翌日に葬儀告別式を
行わなかったかというと、何もかもが通常通りではなかったからだ。

父親は中国は福建省生まれ香港育ちの中国人、母は日本人。
異なった民族と言語と宗教と習慣の狭間に生まれた、わたしたち家族。

しかも父は旅先であった中国・上海で突然に亡くなったため、
父の故郷とも母とわたしの国日本とも違った慣習の中で父を荼毘に付して
お骨にして日本に連れ帰らねばならなかった。
広い国なので、同じ中国でも香港と上海では弔いの習慣が違うのだ。
何しろ、上海で空港関係者、エアライン関係者、警察、葬儀場相手の
手続き一切を手伝ってくれた父の弟たち(父はよりによって空港の
搭乗口で倒れて亡くなった)はクリスチャンである。彼らも全く馴染みのない
弔いの慣習に「おっかなびっくり」という感じであった。

戸惑い傷つきながら父をやっとの思いで日本に連れ帰って、コテコテの
日本人である母方の親戚からいきなり仏教の常識について色々とアドバイス
されても、母もわたしも戸惑うばかり、というのが正直なところであった。

何しろわが家の中では、父とわたしが無宗教。母は日本人らしく、
「亡くなったら仏式で弔うのが自然」という感覚。

とりあえず形の上では自宅の和室に祭壇を置き、遺影に黒リボンを
かけ、おりんを鳴らしお線香を立て、おざぶとんに正座して朝晩は
手を合わせるようにしたし、お骨を連れ帰った翌日には母方の実家の
菩提寺にお経を読んでもらいはしたが。

母方の兄弟に「これこれしてあげないと成仏できなくてかわいそう」などと
言われても、全くピンとこないまま時間が流れたのだ。

「じゃあ上海の葬儀場で目にしたたくさんのお葬式で弔われた人たちは
成仏できないっていうの?」

「お墓だの仏壇だの成仏って言うけど、大変な思いをしてやっとの思いで
パパを家に連れて帰って来たのに、この上どこに連れて行けっていうの?」

「お墓と仏壇とあの世、パパはどこに行くことになるのか、誰か答えられる?
答えられないのに【成仏】っておかしくない?」

「【戒名】ってそんな、45年も日本に住んでも帰化せずに中国の名前の
ままで亡くなった人に、今更違う名前をつけるの?」

そんな調子であった。

「慣習」とか「宗教」って便利なのだ。それがよーくわかった。

そういった便利な制度の狭間にポッと芽を出したエアープラントのような
わが家では、「死んだら人間どうなるか」の問題まで遡らないと、
父の弔いの方法一つ決めることができなかったのだ。

ある日突然「今さっき亡くなりました」という内容の国際電話が入って
父の死を知らされたということで、受け入れるまでに時間がかかった
という一面も、多分にあったと思う。

しかしいつまでも父のお骨を家に置いておくわけにはいかないし(わたしは
それでも全然平気なのだが、母がそれだけは絶対に嫌だと言い張った)
とにかく「弔い」の最終地点である「お墓」問題から考えることにした。

そうしたら、家族全員が納得し自然に受け入れられる宗教がないわが家でも
「ここだったら、パパ喜ぶ!」と母もわたしもピンとくる場所が、みつかったのだ。
結果的にお寺さんだったけど、とにかく父が永遠の眠りにつく場所として
しっくりくる場所なのだ。由緒があって静かでこぢんまりして、季節ごとに
色々な花に彩られる、ぬくもりを感じる場所。
「お墓問題から考えていこう」と思いついて調べ始めたその夜のうちに見つけ
翌日には見学に行き、その場で即決というスピード決断。
気がつけば、その翌日が四十九日に当る日だった。

最終着地点が決まったので、今度は「自分の区切りのためにもお経を読んで
もらいたい」「身近な人たちだけで集まってパパを偲びたい」という母の希望で
四十九日と百箇日の間に日のいい日程を選んで、ささやかな会を企画した、
というわけだ。

以下に、父のすぐ下の弟である叔父が書いてくれた弔辞を転載する。
7月に父が上海で亡くなった際に、その日のうちに香港から飛んでくれて
全ての面倒をみてくれた叔父だ。
ちなみに広東語で書いたこの手紙を、別の叔父の娘(わたしの従姉妹)が
英語に訳してくれたものを、更にわたしが和訳した。
会では、叔父が広東語で読み上げた後、わたしが和訳を読み上げた。


*****


兄さんへ

兄さんはすぐ下の弟である私より6歳年上なだけなのに、幼い頃から
大きな責任を背負っていましたね。兄さんはまだ十代の頃から家計を助ける
ために働き始めました。そして二十歳になる頃には、弟妹たちのために、
住み慣れた家を出て一人で身を立てました。兄さんが進めなかった学校に
弟妹たちが進めたのは、兄さんの献身のおかげでした。兄さんが私たちの
進学の夢を叶えてくれたこと、本当に感謝しています。でも兄さんが日本で
素敵な奥さんと家庭を築き、可愛い娘を授かることができたのも、
独り立ちして日本にやってきたおかげだと思うと、何とも不思議な気がします。

一緒に大きくなることはできなかったけれど、大人になってから兄さんと
一緒に過ごせた時間に感謝しています。兄さんが中国に出かけるたびに
立ち寄った香港の、実家で、或いは外でお茶を飲みながら、近況を話したり
旅行の土産話を聞くのはいつも楽しみでした。仕事を引退してからは私も
一緒に旅行する機会ができ、本当にいい思い出です。中国やヨーロッパ、
そして日本の各地へ、兄さんの楽しい話を聞きながら、歩き回りましたね。
一緒に過ごした時間がまるで昨日のようです。特に鮮やかによみがえるのは、
兄さんが最後に立ち寄った香港での時間です。いつものようにたくさんの
話をしましたが、まさかそれきり会えなくなるなんて。今まで通り兄さんは
旅行をしていて、しばらくしたら立ち寄ってくれるんだと、そんな気が
今でもしています。でももう香港に立ち寄ってくれることはないのだと
思い出して、とても悲しくなります。

兄さん、一緒に過ごせた時間は長くはなかったけれど、兄さんは私にとって
お手本でした。孝行息子として、愛に溢れた夫として、子煩悩な父親として。
香港で共に過ごせた時間は短かったし、言葉にすることは少なかったけれど
兄さんは香港の両親や弟妹たちのことをいつも気にかけてくれましたね。
私たちの方でも兄さんのことをいつも思っていたこと、言葉にはでき
なかったけれど、兄さんは知っていてくれたような気がします。でも本当の
ところは、兄さんが家族にくれた優しさには、いくらありがとうを言っても
足りなかったかも知れません。

兄さんがこう言っていたのが忘れられません。「7月末には日本に戻って、
これからは旅行をするより、家で少しゆっくりするつもりだ」兄さんが
倒れたのが、わが家まで後一歩のところだったことが残念でなりません。
でも兄さん、これまで背負っていた大きな荷物を下ろして、これからは
何の心配もなく、旅をすることができますね。弟妹たちが兄さんの手本に
ならって、お母さんに精一杯親孝行をしていきます。こちら横濱では、
すっかり大人になった珠麗が、お母さんにしっかりと 親孝行をしてくれる
でしょう。
兄さんは安心して、気をつけて、いってらっしゃい。


*****


続いて、喪主の挨拶としてわたしが書いた文章も併せて転載する。


*****


本日は父、薛成栄のために、遠いところをお集まりいただき
ありがとうございます。

「これが最後の旅行だ」と行って出発した父は、生まれた土地に
立ち寄ったり、実家に立ち寄って母親や弟妹たちと食事をしたりした後、
日本に帰国する飛行機に搭乗する直前に突然倒れ、そのまま帰らぬ人に
なりました。2011年7月22日。66歳でした。

香港で育ち、横濱で暮らし、上海で亡くなった父は、よほど港に縁のある
人生だったように思います。本日の集まりも、異なる民族や言語や習慣の
坩堝の中で生きた父の人生の、象徴のように思われます。
特にこの20年ほどは戯れに自ら「流浪人」と名乗り、時には母も道連れに、
ありとあらゆる土地を旅して回っておりました。そしてその最期も、まるで
永遠の旅に出たかのようで、今にも土産を手に家に帰って来るのではないか
と思われてなりません。

そんな港を吹く風のような父の人生でしたから、母と結婚し、わたしという
娘が生まれたこと、お集りの皆さまにお世話になりましたことに、殊更に
強く大きなご縁を感じます。実際、父にとっては、ここ横濱で築いた家庭と、
そこから広がるご縁こそが全てのよりどころ、本当の港であったと思います。

これからは母と2人、父が繋いでくれたご縁をよりどころに、精一杯生きて
いきたいと思っております。今まで同様これからも、お付き合いいただき
見守っていただけましたら幸いです。何とぞよろしくお願い申し上げます。

本日は誠にありがとうございました。


*****


こんな時にまで、通訳して翻訳しているわたしである。

父を迎えに行った上海でも、全ての手続きで叔父とわたしが通訳を務め
中国語から英語、英語から日本語に訳して、母への橋渡しをした。

どうやらわたしは、そういう宿命の元に、生まれているらしい。



薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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| comments(0) | trackbacks(0) | 19:08 | category: LIFE |
# MORE LIFE
久しぶりの更新です。

震災発生後、心に生まれた数々の言葉、そして言葉にならない思いの
代わりに、このブログでも再三登場してきたわたしの最愛の戯曲
『エンジェルス・イン・アメリカ』から、大好きな長台詞をそのまま
掲載させていただきます。権利の問題等、あるだろうとは思うのですが、
今だけお見逃しいただければ嬉しいです。

『エンジェルス・イン・アメリカ』は、わたしが翻訳/上演台本作り/
演出補として関わった2004年と2007年のtpt公演では
バッサリとカットされていましたが、チェルノブイリ原発事故をその
モティーフの一つにしています。オゾン層の破壊、サンフランシスコ大地震、
チェルノブイリ原発事故、原因不明の疫病=エイズの爆発的蔓延。。と
いったカタストロフィに対する「地球はもはや人が住めない世界に
なりつつあるのではないか」という危機感と、主人公たちに起こる人生の
危機を重ねて、7時間半もの時間をかけて七転八倒して苦しみ、戦い、
逃げ、向き合い、血を流し、そして歩き出す戯曲です。

ここに引用するのは、主人公の一人ハーパーが、気も狂わんばかりの、
死の物狂いの人生の危機を自ら向き合って乗り越え始めた、その旅立ちの
際に、観客に語りかける長台詞です。

**********

サンフランシスコへの夜間飛行。月を追いかけてアメリカを横断。
ああ!飛行機なんて何年ぶり!

高度三万五千フィートに達したら、そこは対流圏と成層圏のはざま。
穏やかな空気の大きな帯。わたしがオゾンにいちばん接近するところ。

そこへ行く夢を見たわ。飛行機は、安全な空気を離れて、最果ての殻まで
辿り着く。オゾンに。それはぼろぼろに引き裂かれ、まるでガーゼのように
擦り切れて、とっても怖かった・・・。

でもそこで、わたしにしか見えないものを見たの。
わたしにはそういうものを見るすごい力があるの。

いくつもの魂が、遥か下の地上から昇ってくるの。死んだ人たちの魂よ。
飢餓や戦争、疫病で命を奪われた人の魂が、浮き上がって来るの、
スカイダイビングの逆。手足を広げて、旋回したりくるくる回りながら。

そしてこの世を去った人々の魂は手をつないで、足首をしっかり掴みあって、
蜘蛛の巣を作ったの、魂でできた大きな網、その魂は酸素原子三つからなる
分子、オゾンの素。それを最果ての殻が吸い込んで、綻びを直していく。

永遠に消えたままのものなんてない。
この世界には、苦しみに満ちた前進っていうものがあるの。
後ろに置いて来たものを追い求めながら、先に向かって夢を見る。

少なくとも、わたしはそう思う。

**********


そして、最後にもう一つ。


主人公のもう1人、やはり生と死の淵を半狂乱で駆け抜けた末に、
生を見出すことになるプライアー。彼は何と天国まで行って、天使や神に
「生きると決めたんだから」と啖呵を切って帰ってきちゃうのですが(笑)
そんな彼の、7時間半をしめくくる、ホントに最後の台詞です。


**********


あなたたちは美しい。一人一人、みんな。
僕からあなたたちに祝福を。
もっと、いのちを。
大いなる仕事が始まります。


**********


「もっと、いのちを」原文では「more life」です。
様々な祈りと決意のこもった、言葉です。

「大いなる仕事」。
この言葉を、今までは個人レベルでしか捉えたことがありませんでしたが、
いま改めて見ると、非常に重要な道標をこの戯曲は与えてくれていたんだと、
実感します。

命溢れる方へ、進みましょう。
大いなる仕事は、確かに始まったのです。


薛 珠麗(せつ しゅれい)
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| comments(4) | trackbacks(0) | 13:46 | category: LIFE |
# こっそり乙女。/拍手コメントにお返事
小学校の時、クラスメートのお母さんが放課後の学校のホールを使って
バレエ教室を開いていた。先生は日本人だったけど、とにかく便利だった
こともあり、同級生たちはもちろん、上級生や下級生も、女の子の多くが
国籍の垣根を越えてその教室に通っていた。

わたしも、漫画などの影響と、チュチュやレオタードやトゥシューズが
とにかく可愛いことに憧れて、教室に通い始めた。裾にちょっとだけ
フリルがついた淡いピンクのレオタードを着てバーに掴まる自分に、
ちょっとだけ酔いながら。

でもわたしは(今でもそうだが)ミシミシいっちゃうほど身体が硬い!
ので、トゥシューズを履けるようになる遥か手前で挫折した。

かくして、チュチュやトゥシューズへの憧れはそのまま急速冷凍され、
わたしは長じてもトゥシューズを見るだけでうっとりするオトナに
成長した。

その憧れが高じて、バレエシューズを買ってしまったことがある。
ロイヤルピンクのサテンで、リボンで結ぶようになっている、本物の
トゥシューズみたいなバレエシューズ。

‥‥しかし、バレエシューズを履く機会があろうはずもなく、それは
長らくわたしの部屋のタンスの肥やしであり続けた。

この年末年始、たまにやる「本気の片付け」モードだったわたしは、
しばらく手を付けていなかった部屋の最奥の秘境などもきれいに片づけた。
長らくしまい込まれたこのバレエシューズも、とうとう捨てる時が来た
‥‥とも思ったが、せっかくなので、飾ることにした。

ちょうどいい壁に使っていないフックもあったし。



‥‥かーわーいーいー♪

わたしの中の乙女趣味は普段触れる機会も表現する機会もないものだけど、
こうして常に目にする場所に飾ると、何だか本当に潤されるのがわかる。

もうちょっといい条件でちゃんと写真、撮りたいなぁ〜


薛 珠麗(せつ しゅれい)


追伸:
この先には、いただいた拍手コメントへのお返事が書いてあります。

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