『ルドルフ』をもって外国人演出家の通訳やアシスタント業務を卒業した、
2012年。
どうにか年内に、新しいステップの第一歩となるワークショップを
開催できる運びとなりました。
わたしにはずいぶん長い間、上演したいと考えている戯曲があります。
数年前、tptのワークショップ公演としてわたしの翻訳/演出で
2ステージ上演したその戯曲を、また新たに、今度は本格的な公演として、
上演したいと考えてきました。
今回のワークショップは【キックオフ・ワークショップ】と銘打ち、
上演に向けての第一歩として【この戯曲、一体どうなんだろう?】という
問いを投げかけ始める試みになります。
日本の、演劇の、そして人生の激動の真っただ中にある今、わたしは
【なぜ演劇なのか】を考えることが多くなりました。
わたしの回りには、送り手という立場、観客という立場の違いを超え
演劇を愛する人が本当にたくさんいます。わたし自身ももちろん含めた
【演劇を愛する我々】にとって【なぜ演劇でなくてはならないのか】を
じっくりみつめれば、【演劇にしかできないこと】が見えてくるのではないか。
それはまた【演劇がやるべきこと】でもあるのではないか。
そんなふうに考えてしまうのです。
2012年12月の時点で、わたしの中での一つの答えは【もっと生きる】です。
【もっと】というのはもちろん、時間の長さではなく。
もっともっと、生きる。
「今よりも明日、そしてその先に。少しでも幸せになりたい」
「どこかへ行きたい、ここじゃないどこかへ」
「あの人が欲しい」
「もっともっと近くにいたい」
「【生きている】その実感が欲しい」
「なぜ自分が生まれてきたか、少しでも意味を刻みつけたい」
‥‥どれも使い古されたような言葉ばかりですが、誰もが何かを掴みたくて
近づきたくて関わりたくて、もがいているのではないか、と。
時には醜く。
時には踏み出せないままに。
誰もが死に物狂いで生きて求めて歩いているのに、思うように掴むことが
出来ることなど稀で、すり抜けるように時間が過ぎていき、近づきたい
人とは傷つけ合ったりすれ違ったり、いつの間にか遠ざかっていたり__
それでも歩いていく。
全てを少しずつ奪っていく【時間】を、迎え撃つ。
それが【生きる】で、その一瞬の輝きが【演劇】。
わたしが取り組んでいる戯曲は、まさにそういう物語です。
求めて叫んで。掴んでは奪われて。願ってはばらばらになる。
今回のワークショップで全面的に協力してくださっている
「ArtistCompany響人」さんのお声がけで、何と20人以上も集まって下さった
俳優の皆さんと共に、この戯曲と出逢っていくのが楽しみです。
今はまだ何もない状態ですが、こういったステップを一つ一つ積んで
賛同者とエネルギーをこの戯曲に引き寄せて、少しずつ広げていって
繋げていって、上演に近づいていければ、と思っています。
まずは、一歩。
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)