___evidence*___薛珠麗's BLOG

薛 珠麗(せつ しゅれい)のブログ
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# 白いドレスの人。(追記あり:『消えた横浜娼婦たち』)
横濱の港の近くで生まれ、横濱の港の近くで育ち、横濱の港の近くに住んでいる。

「なにじん」というアイデンティティを持ちづらい生まれ育ちなので、
本当に思い出せないくらいの昔からずっと「横濱」がアイデンティティだし、
横濱を全身全霊で愛してきたし、たいへんな誇りを持ってきた。

そんなわたしだが、真剣に意識的に横濱のことを考えるようになったのは
ごく最近かも知れない。

そういうわけで、ブログに新しく「横濱」カテゴリーを新設してみた。


**********



かつてこの港町で知らぬ者のなかったあの老婆が、何だか都市伝説めいた
ような存在になったのは、一体いつ頃からだったか。

ごく幼い頃、わたしが住んでいた中華街の裏通りは、子供の遊ぶ場所が
豊富にあった。今ではすっかり観光地になった山下町公園や関帝廟の境内には
ブランコやシーソーや砂場があったし、今はレイトンハウスという高層
マンションが建っている辺りには同潤会アパートがまだあって、敷地内に
こっそり入り込めば、そこはちょっとした広場のようになっていた。

戦後すぐに中国人が建てただろうアパートや店舗兼住宅がごちゃっと、互いに
組み合わさるようにして並んでいて、その頃の中華街はまるで小さなピースを
集めたパズルのような町だった。幼いわたしは補助輪付き自転車に乗ったり
近所の友達と駆けずり回ったりしながら、小さな路地のひとつひとつを
詳しく知っているのを自慢にしているような子供だった。

今でこそ中華街は中華料理を中心にした老若男女向けの一大レジャータウンに
なった感があるが、その頃は子供心にも、もっと後ろめたい町だった。
わたしが住んでいた通りには一軒の小さいけれど出入りの忙しい事務所があって、
そこの回りで路上駐車をする住民は誰一人としていなかった。今では中華料理屋が
犇めく裏通りには、昼間は安っぽいプラスティック板が目立つばかりのネオン
看板を掲げたキャバレーも多かった。中華街のメインストリートにも、今はたくさん
あるファンシーな雑貨のお店よりは、船員向けのバーの方が目立っていた頃だ。
わたしは幼稚園から山手の丘に建つインターナショナル・スクールに
通っていてクラスメイトはエリートの子女がほとんどだったけど、地元の
友達は「お母さんホステス。お父さん刑務所。だから3歳の時からごはんは
自分で作ってるよ」という壮絶な境遇の子もいた。昔からの家業を中華街の地で
営んできた日本人もたくさんいたけど、日本の社会から逃げるようにして
流れ着いてきた人々も多かった。どちらかというと中華街は夜の町だったのだ。
カラオケが流行り始めた時代、わたしは毎晩、近所のスナックから漏れ聞こえる
石原裕次郎気取りのおじさんの気持ち良さそうな歌声を、子守唄のようにして
眠っていた。

そんな町を、両手に紙ぶくろを持ち、いつも少女漫画の貴婦人のような
装いをして、彼女は静かに歩いていた。
わたしの記憶に残る彼女は、真っ白のジョーゼットやレースのドレス姿。
冬は白い毛皮だった気がする。でも白しか身につけないかと言えばそうではなく、
とにかくいつだって夜会に出かけるような鮮やかであでやかな出で立ちだった。
髪の毛は、わたしの記憶の中ではプラチナ・ブロンド。いつも高く結い上げていた
記憶がある。子供の目には完全に「老婆」であった彼女が異様な光を放っていた
のは、その衣裳のせいもあるが、それ以上に化粧だった。とにかく真っ白。
舞妓さんのような白塗り。アイメイクもリップもまるでクレヨンで描いたような、
遠目にも異様なその姿。

わたしが一番外で遊んでいた時期つまり1970年代後半くらいには、彼女は
わたしが住んでいた関帝廟通りに日常的に出没していた。一番見かけた記憶が
あるのは中山路だったような気がする。中山路が中華街メインストリートに交わる
ところに彼女が出現すると、中山路が関帝廟と交わる辺りで遊んでいたわたしたちの
方まで彼女の香水の香りがプンと香ってきた__そんな記憶があるのだが、
年月がわたしの記憶を誇張したのだろうか?
中華街の外では、今はスターバックスになってしまった馬車道の有隣ファボリの
前のベンチに座っていた印象が強烈だ。そこでも、斜め向かいにあった横浜
東宝会館という映画館の方まで香水が香ったという記憶がある。

非日常的な装い、狂い女としか思えない化粧、むせ返るような香水__これだけ
強烈な要素を持ちつつ、とにかく彼女は静かな印象だった。異様な迫力。
いたずらな子供の中にはホームレスをみつけるとついて歩き回って、時に
からかったりする者もあったが、わたしの知る限り、彼女をからかうなんて
そんなことは誰も思いつかなかった。そんな雰囲気を、彼女は間違いなく
たたえていた。異様に高い、昔の映画に登場する貴婦人のような彼女の声が、
どうしてわたしの記憶にあるのかわからない。とにかく彼女は静かで、そして
近寄り難い迫力があった。ある年、日本中を席巻した「口裂け女」の都市伝説と
彼女とを、混同する子供も中にはいたくらいだ。

わたしの小さな社会の中で、彼女の名前は知られていなかった。
のちに彼女が伝説のように有名になった時に「メリーさん」と呼ばれているのを
見て不思議な気持ちになった。わたしの小さな社会の中で彼女は「白塗りおばさん」
だった。仲間内ではそれが発展して「塗り壁おばさん」と呼んだりもしていた。
子供にとっては、彼女が名前を持つ一人の人間だなどということは思いもよらない
ことだったのだ。母親曰く、大人の世界では「梅毒が頭に回ったメリーさん」と
して知られていたようだが、わたしの回りの子供で、彼女の話を親や大人の世界に
住む人に対して話題にしようと考える者は一人もいなかったような気がする。

彼女はある意味当たり前の風景の一部で、ある意味タブーで、ある意味、町が
共有する秘密のような存在だったのだ。

わたしの中で、彼女の記憶が残っているのは1980年代のごく最初までだ。
わたし自身が近所にではあったが引っ越しをして、中華街の夜のネオンが遠のいた、
というのが一番の理由だが、同時に、中華街から港や夜の匂いがなくなっていった
ことは無関係ではないだろう。中華街に点在していた夜の吹きだまりのような
スナックやキャバレーが姿を消し、北欧やギリシャの船員向けのバーも存在感を
なくしていき、中華街はどんどん若者たちの、そしてファミリー向けの、観光地と
なっていった。

のちに彼女が都市伝説のように、物語の中の横浜に登場するようになり、
何だか横浜の人間だけが互いに守っていた秘密が外に漏れてしまったような
気がして、ひどく不本意な気持ちになったのを覚えている。

異様な迫力はあったけど、彼女は本当に静かな佇まいをしていた。
そして本当に、いつも毅然としていた。
幼い頃に感じた畏怖を、大切な町の記憶として、大事にしていきたい。


薛 珠麗(せつ しゅれい)


**********

追記:

ある本のレビュー、別のところに書いたものだが、ここにも
転載しておく。


『消えた横浜娼婦たち〜港のマリーの時代を巡って』



横濱の光と影のことを色々と調べていて出会った1冊。

横浜から「働く港」の面影が潮が引くように消えていくのを
リアルタイルで目撃してきた者としては、この本にはその面影の
実体を、実像を、覗かせてもらえたような心持ちがしている。

わたしの幼い頃、メリーさんは日常的にお見かけしたし、
町にも港にも、もっと後ろめたい空気が立ちこめていた。
それはこの本に書かれたような世界、時代の名残だったのかと
納得し、合点がゆき、懐かしいものとたくさん再会できたような
安堵も感じている。
何十年もみつめてきた扉をそっと開いてもらったような感覚だ。

タイトルで提示されているテーマを描く上で、時代や土地の匂いが
実際的なデータを挿みながら非常に巧く描写されているので、
横濱の地に生きた時代時代の女たちが現実感をもって迫ってくる。

ここで詳らかにされた横濱の夜の歴史に眉をひそめるお上品ぶった
人々がもし本当にいるのなら、とっとと内陸のベッドタウンにでも
お戻りいただいた方がいいと思う。港というのは本質的に、海外から
富や知識をもたらす外国人に身体を開く娼婦と似た存在なのだ。
横濱はそもそも、日本の心臓部を海外列強から守るために差し出された
高級娼婦として始まった街であり港なのだ。

その過去を忘れたら、横濱に未来はないとわたしは思う。
この本は、そんな警鐘のようにも思われた。


薛 珠麗(せつ しゅれい)
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| comments(0) | trackbacks(0) | 03:04 | category: 横濱 |
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