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薛 珠麗(せつ しゅれい)のブログ
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# 2016年10月13日、ミシェル・オバマの演説より。(追記あり)


何と力強い言葉だろう。
信念に裏づけられた言葉の、力強さ故の、美しさ。


2016年10月13日、ニューハンプシャー州マンチェスターにおける
アメリカ合衆国ファーストレディ=ミシェル・オバマによる、民主党の
大統領候補=ヒラリー・クリントンへの、応援演説。



ネット上に訳した人は他にもいらっしゃるが、
わたしの耳に聞こえてくる日本語をどうしても文字にしておきたくて、
訳してみた。

2016年10月27日追記:改めて、こちらに全文の和訳を掲載しました。
こちらに掲載した分の倍の長さがありますので、よろしければ。


原文はこちら、BBCのサイトより


__________________________________

So I'm going to get a little serious here, because I think we can all agree that this has been a rough week in an already rough election. This week has been particularly interesting for me personally because it has been a week of profound contrast.

というわけでここで私は皆さんに、少々真剣に、語りかけたいと思います。
ただでも苦しい今回の大統領選挙で、今週1週間は特に苦しかったと、
皆さんにも同意していただけるんじゃないでしょうか。
私にとっては特に印象的な1週間になりました。
何故なら、あまりに対照的だったからです。


See, on Tuesday, at the White House, we celebrated the International Day of the Girl and Let Girls Learn. And it was a wonderful celebration. It was the last event that I'm going to be doing as First Lady for Let Girls Learn. And I had the pleasure of spending hours talking to some of the most amazing young women you will ever meet, young girls here in the US and all around the world.

ホワイトハウスで International Day of the Girl (国際ガールズ・デイ)と
「Let Girls Learn (女子に学ぶ機会を)」を祝ったのが、火曜日でした。
素晴らしい集まりでした。私がファーストレディとして「Let Girls Learn」の
ために開催する最後のイベントでもありました。そこで私は、何人もの、
2人といないような素晴らしい少女たちと何時間も語り合うことが
できました。ここアメリカだけでなく、世界中からやってきた少女たちです。


And we talked about their hopes and their dreams. We talked about their aspirations. See, because many of these girls have faced unthinkable obstacles just to attend school, jeopardizing their personal safety, their freedom, risking the rejection of their families and communities.

少女たちの将来、夢について語り合いました。希望について語り合いました。
少女たちの多くは、学校に通う、それだけのために、私たちには考えられない
ような障害を乗り越えなくてはなりません。
学校に通うだけで、毎日の安全な生活や自由が、脅かされるのです。
家族や社会から、排除されるのです。


So I thought it would be important to remind these young women how valuable and precious they are. I wanted them to understand that the measure of any society is how it treats its women and girls. And I told them that they deserve to be treated with dignity and respect, and I told them that they should disregard anyone who demeans or devalues them, and that they should make their voices heard in the world.

そんな少女たちに、私は伝えなくてはならないと思いました。
一人一人が掛け替えのない、大切な存在だと。
いかなる社会も、女性や少女をどのように扱うかでその真価が決まるのだと。
一人一人に、大切にされ尊重される権利がある、
だからもし、あなたを軽視し、品性を侮辱する者がいたなら、
いかなる相手であっても耳を貸すに値しないと。
そしてあなたたちの声を、世間に、世界に、届けなくてはならないと。


And I walked away feeling so inspired, just like I'm inspired by all the young people here and I was so uplifted by these girls. That was Tuesday.

それは大いに触発される、豊かな時間でした。
ここにいる若い皆さんに今こうして触発されているように、
私はその少女たちから、勇気をもらいました。
それが火曜日のことです。


And now, here I am, out on the campaign trail in an election where we have consistently been hearing hurtful, hateful language about women - language that has been painful for so many of us, not just as women, but as parents trying to protect our children and raise them to be caring, respectful adults, and as citizens who think that our nation's leaders should meet basic standards of human decency.

そして今日私は、大統領選挙のキャンペーンのために、
こうして皆さんに語りかけています。
今回の大統領戦で私たちは、女性に対する憎むべき発言の数々を
ひっきりなしに聞かされてきました――私たち女性にとって、
耳にしただけで傷つく言葉ばかりです――女性ばかりではありません、
子供たちを人への思いやりと配慮にあふれた人間に育てたい親として、
国家の指導者はせめて、人間としての基本的な品性を持っていてほしいと
考える一市民として、聞くに耐えない言葉ばかりです。


The fact is that in this election, we have a candidate for president of the United States who, over the course of his lifetime and the course of this campaign, has said things about women that are so shocking, so demeaning that I simply will not repeat anything here today. And last week, we saw this candidate actually bragging about sexually assaulting women. And I can't believe that I'm saying that a candidate for president of the United States has bragged about sexually assaulting women.

今回の選挙で私たちは、
女性を貶め続けてきた人物をアメリカ合衆国大統領の候補者として
迎えてしまいました。
選挙戦を通し、いや人生を通してされてきた発言の数々は
あまりにおぞましく、ここで口に出すことすら憚られます。
そして先週、私たちはこの候補者が、
女性への性的暴行を自慢する発言を耳にしました。
自分で口にしながら、信じられない言葉です。
女性に対する性的な暴行行為を自慢する人物が、
アメリカ合衆国大統領の候補者である。


And I have to tell you that I can't stop thinking about this. It has shaken me to my core in a way that I couldn't have predicted. So while I'd love nothing more than to pretend like this isn't happening, and to come out here and do my normal campaign speech, it would be dishonest and disingenuous to me to just move on to the next thing like this was all just a bad dream.

このことがどうしても、頭を離れません。
想像を遥かに超えて、私という人間の一番芯の部分まで
脅かされている気がしています。
こんなことは起きていないというフリができたなら、
どんなにいいでしょう。
しかしもし私が、何事も起きていないという顔をして
通常通りの選挙応援演説をしたならば、
これは悪い夢だったのだと、全て忘れて次に進もうと説いたならば、
嘘をつくことになります。不正を行うことになります。


This is not something that we can ignore. It's not something we can just sweep under the rug as just another disturbing footnote in a sad election season. Because this was not just a "lewd conversation". This wasn't just locker-room banter. This was a powerful individual speaking freely and openly about sexually predatory behavior, and actually bragging about kissing and groping women, using language so obscene that many of us were worried about our children hearing it when we turn on the TV.

これは、無視していいことではありません。
残念な大統領選挙で数々起きたおぞましいエピソードの一つとして
片づけていいことではありません。
何故なら、これは単なる「わいせつな発言」ではないからです。
男性ロッカールームの軽口ではないからです。
権力を持つ人間が、権力を持ってさえいれば他者を性的な食い物にしていいと、
当たり前のことのように語ったのです。
女性にキスをし体に触ると、さも自慢げに語ったのです、
それも、子供たちにはとても聞かせられないような卑猥な言葉を使って。


And to make matters worse, it now seems very clear that this isn't an isolated incident. It's one of countless examples of how he has treated women his whole life. And I have to tell you that I listen to all of this and I feel it so personally, and I'm sure that many of you do too, particularly the women. The shameful comments about our bodies. The disrespect of our ambitions and intellect. The belief that you can do anything you want to a woman.

しかももっと悪いことに、これが1回きりの出来事ではないのは明らかです。
この候補者が人生を通して女性をこのように軽視してきたという、
これは、数えきれない例の一つでしかありません。
私は聞いていて、我が事のように感じます。
皆さんの多く、特に女性は、同じように感じているのではないかと思います。
女性の体への、恥ずべき発言。
私たちが持っている向上心や知性に対する侮辱。
女性には好きなことをしても許されるという考え。


It is cruel. It's frightening. And the truth is, it hurts. It hurts. It's like that sick, sinking feeling you get when you're walking down the street minding your own business and some guy yells out vulgar words about your body. Or when you see that guy at work that stands just a little too close, stares a little too long, and makes you feel uncomfortable in your own skin.

これは残酷です。
恐怖です。
そして実際、私たちは傷つけられています。
傷つけられているのです。
ただ道を歩いているだけなのに男性から体のことで
下品な言葉を投げつけられた時の、
あの悔しさ、
地面に引き摺り込まれるような、あの気持ちと同じです。
あるいは職場で、不自然に体を近づけられたり、
じろじろとした目線に晒された時の、
身の置き所がないような、あの気持ちと同じです。


It's that feeling of terror and violation that too many women have felt when someone has grabbed them, or forced himself on them and they've said no but he didn't listen - something that we know happens on college campuses and countless other places every single day. It reminds us of stories we heard from our mothers and grandmothers about how, back in their day, the boss could say and do whatever he pleased to the women in the office, and even though they worked so hard, jumped over every hurdle to prove themselves, it was never enough.

あまりに多くの女性が、
大学のキャンパスで、その他のあらゆる場所で、
どんなに拒絶しても聞き入れてもらえず、
乱暴な扱いをされたり辱められたりしています。
未だに日々、繰り返されているそういった行為と、
これは同じなのです。
私たちは思い出さずにいられません、
母やその母たちから聞かされてきた、
職場の上司たちがどんな言動をしても許された時代の話を。
私たちの母、その母たちが、どんなに必死に働き、
あらゆるハードルを越えて見せても、
決して正当な見返りが与えられなかった時代の話を。


We thought all of that was ancient history, didn't we? And so many have worked for so many years to end this kind of violence and abuse and disrespect, but here we are, in 2016, and we're hearing these exact same things every day on the campaign trail. We are drowning in it. And all of us are doing what women have always done: We're trying to keep our heads above water, just trying to get through it, trying to pretend like this doesn't really bother us maybe because we think that admitting how much it hurts makes us as women look weak.

そんなのはもう遥か昔のお話だと、誰もが思っていたはずです。
違いますか。
私たちの多くが、何年も何十年も、
このような暴力、不当、軽蔑を二度と受けなくて済むよう、
働き、尽くしてきました。
それなのに今、2016年になって、その頃と何一つ変わらない話を、
しかも大統領選挙で、毎日毎日聞かされているのです。
溺れてしまいそうなほど、聞かされているのです。
そして私たちは、これまで全ての女性がそうしてきたように、
顔を上げます。
溺れてしまわないように、向こう岸までどうにか泳ぎ切れるように。
私たちは一生懸命に「気にしません」という顔をします、
傷ついていると認めてしまったら弱みを見せることになるから。


Maybe we're afraid to be that vulnerable. Maybe we've grown accustomed to swallowing these emotions and staying quiet, because we've seen that people often won't take our word over his. Or maybe we don't want to believe that there are still people out there who think so little of us as women. Too many are treating this as just another day's headline, as if our outrage is overblown or unwarranted, as if this is normal, just politics as usual.

私たちは弱みを見せることを恐れているのかもしれません。
全ての感情を呑み込んで、何も言わないでいることに、
私たちは慣れてしまったのかもしれません。
それは、男性の言い分ばかりが通って、
私たちの言葉は聞き届けられないから。
或いは、女性を軽視する人々が未だにこんなにたくさんいることを、
私たちは信じたくないのかも知れません。
これは毎日更新されるニュースの一つでしかないと、考える人が多すぎます。
私たちの憤りは大げさだ、騒ぎすぎだと、考える人が多すぎます。
これくらい普通、よくある政治だと、考える人が多すぎます。


But, New Hampshire, be clear. This is not normal. This is not politics as usual. This is disgraceful. It is intolerable. And it doesn't matter what party you belong to - Democrat, Republican, independent - no woman deserves to be treated this way. None of us deserves this kind of abuse.

しかし、ニューハンプシャーの皆さん、いいですか。
これが普通なわけがありません。
よくある政治なわけがありません。
これは恥ずべきことです。許しがたいことです。
民主党、共和党、無所属――どの政党に属していようと、
いかなる女性もこのような扱いを受けていいわけがありません。
このような不当を受ける謂れは誰にもありません。


And I know it's a campaign, but this isn't about politics. It's about basic human decency. It's about right and wrong. And we simply cannot endure this, or expose our children to this any longer - not for another minute, and let alone for four years. Now is the time for all of us to stand up and say enough is enough. This has got to stop right now.

これは選挙戦なのかも知れませんが、断じて政治ではありません。
これは、人間としての基本的な品性の問題です。
何が正しく、何が間違っているかの問題です。
私たちはこれ以上耐えることも、
子供たちを危険にさらすこともできません――これ以上、1分たりとも。
4年間などもってのほかです。
立ち上がって「いい加減にしろ」と言う時が来たのです。
今ここで、終わらせなくてはならないのです。


Because consider this. If all of this is painful to us as grown women, what do you think this is doing to our children? What message are our little girls hearing about who they should look like, how they should act? What lessons are they learning about their value as professionals, as human beings, about their dreams and aspirations?

何故なら、考えてもみてください。
大人の女性でさえ傷つくのです、
子供たちに一体どれだけの影響があるでしょう。
幼い娘たちに、大人になったらそんな女性になってもいいと、
そんな言動をしてもいいと、
思わせてしまっていいのでしょうか?
そんなことで、
一人のプロフェッショナルとしての価値、
一人の人間としての価値、
一人一人が持つべき夢や向上心を、
教えることができるのでしょうか?


And how is this affecting men and boys in this country? Because I can tell you that the men in my life do not talk about women like this. And I know that my family is not unusual. And to dismiss this as everyday locker-room talk is an insult to decent men everywhere.

そして、我が国の男性や少年たちにも、
一体どれだけの影響があるか。
これだけは断言できます。
私の周りの男性に、女性のことをあのように言う人は
一人としていません。
そして私の家族は何も特別ではありません。
あの発言をロッカールームでの日常的な軽口と片づければ、
品性ある男性全てを侮辱することになります。


The men that you and I know don't treat women this way. They are loving fathers who are sickened by the thought of their daughters being exposed to this kind of vicious language about women. They are husbands and brothers and sons who don't tolerate women being treated and demeaned and disrespected. And like us, these men are worried about the impact this election is having on our boys who are looking for role models of what it means to be a man.

私や皆さんの周りの男性はあのように女性を軽視しません。
彼らは、あのような悪意ある言葉が娘に向けられることを良しとしない、
愛に溢れた父親です。
女性があのように扱われ、貶められ、軽蔑されることを許さない、
夫であり、兄弟であり、息子です。
そして彼らは、私たち女性と同じように、案じています。
男性としての規範を探している少年たちがこの選挙戦を見て、
どんな影響を受けるだろうかと。


In fact, someone recently told me a story about their six-year-old son who one day was watching the news- they were watching the news together. And the little boy, out of the blue, said: "I think Hillary Clinton will be president." And his mom said: "Well, why do you say that?" And this little six-year-old said: "Because the other guy called someone a piggy, and you cannot be president if you call someone a piggy.”

こんな話を聞きました。
6歳の男の子が家族でニュースを見ていて、突然言ったそうです。
「僕はヒラリー・クリントンが大統領になると思うよ」
お母さんは聞きました。
「そう、でもどうしてそう思うの?」
すると、6歳の男の子はこう答えたそうです。
「だって、あっちのほうは誰かのことを子豚って言ったでしょ。
人のこと子豚なんて呼ぶ人は大統領にはなれないよ」

So even a six-year-old knows better. A six-year-old knows that this is not how adults behave. This is not how decent human beings behave. And this is certainly not how someone who wants to be president of the United States behaves.

6歳の子供の方がまだ分かっているということです。
大人のすることではないと。
品性のある人間の言動ではないと。
アメリカ合衆国大統領になろうという人物の言動ではないのは
言うまでもありません。


Because let's be very clear. Strong men - men who are truly role models - don't need to put down women to make themselves feel powerful. People who are truly strong lift others up. People who are truly powerful bring others together. And that is what we need in our next president. We need someone who is a uniting force in this country. We need someone who will heal the wounds that divide us, someone who truly cares about us and our children, someone with strength and compassion to lead this country forward.

何故なら。
強い男性――本当の意味で規範となる男性は、
自分が強いフリをするために
女性を貶める必要はありません。
本当に強い人間は、周りの人々を高めるのです。
本当に力を持つ人間は、人と人とを結びつけるのです。
次期大統領に必要なのは、そういう人間です。
我々を一つにしてくれる人を、我々は必要としています。
この国を分裂させているあらゆる傷を癒す人。
我々そして子供たちの幸せを親身に案じる人。
この国を前進させるために必要な強さと思いやりを持つ人。


And let me tell you, I'm here today because I believe with all of my heart that Hillary Clinton will be that president.

そして私が今日ここに来ているのは、
心の全てで信じているからです。
ヒラリー・クリントンこそがその大統領であると。


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薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# アメリカ大統領 広島訪問に思う。
わたしが芝居を始めたきっかけは、広島だった。
具体的には、修学旅行で訪れた原爆資料館での衝撃と、
そこで出会った一人の被爆者の女性の講演だ。
その時のことは、このブログの「芝居とのなれそめ」にも書いている。
http://shurei-s.jugem.jp/?eid=17

広島での体験をこのブログに書いた時には記さなかったが、
強く記憶に残ったのは、クラスメートや教師たちが広島への原爆投下に
対して持っていた、強烈な罪悪感だ。
わたしはインターナショナル・スクールに通っていたので、
クラスメートの大多数は白人だったし、引率の先生も白人。
一番多かったのはアメリカ人で、二番目がイギリス人、引率の先生も
日本人を妻に持つイギリス人だったけれど、戦争の時に生まれてもいない、
それどころか、クラスメートたちに至っては親の代までさかのぼっても
戦争の記憶などない彼らが、原爆投下に対して何故、罪悪感を持つのか。
わたしはとても不思議だった。そしてますます不思議なことに、
アメリカとイギリス以外の国籍のクラスメートたちも同じような罪悪感を
持っていたのだった。

わたしたちの代の前の年まで、広島への修学旅行には「原爆病院訪問」という
行程も組まれていたのだが、わたしたちの年から取りやめになった。
理由ははっきり覚えていないが「被爆者の高齢化」だったと思う。

引率の先生が、原爆病院を訪れることができなくなったわたしたちに
自分が訪れたの時の体験を話してくれたのだが、その時にこんなことを言った。

「生まれて初めて、白人であることを恥ずかしいと思った」

とっさに感じたのは「あんたたちは黄色人種のわたしたちや、アフリカ系の彼らと
違って、世界のどこに行っても差別はされないからね!」という漠然とした憤りだった。

が、時と共に、そしてその後に広島を実際に訪れてみて、発言の本質がそこではない
ことに、わたしは気がついた。

白人であることを恥じるほどに、
戦争の当事者でもないのにその行いをわが身の恥と感じるほどに、
【加害者】側から見た原爆は、恐ろしいものなのだ。

そしてまた、たとえ同じ戦況であったとしても、原子爆弾を自分たちと同じ
白人の住む国に投下することは決してなかった、と彼らは知っている。
親ですら戦争を知らない子供たちも皆、知っている。

人間に対して使ってはならない兵器であると、彼らが理解している証拠だ。

取り返しのつかない殺戮や残虐を、【加害者】はなかなか正視することができない。

しかし実際に広島を訪れて、15の民族の血が流れていたわたしたちのクラスは
全員、【加害者】【被害者】の目線に縛られなくなったと思う。
圧倒的な悲惨を(ガラスケースと数十年という年月を隔てて)直視した時、
【加害者】【被害者】という垣根は意味を持たなくなり、
ただただ「繰り返してはならない」という祈りだけが残ったのだと思う。

殺戮や残虐が取り返しのつかないものであればあるほど【加害者】は正視できないが、
それはしでかした事の重大さを認識している証拠だ。「正視したくない」という
心の負荷を乗り越えて、歴史に学んで、これから先どう生きるかに活かせば
良いのだと思う。

最も愚かなのは、【加害者】として引き起こした取り返しのつかない殺戮や残虐に
目をつぶりたいあまりに「なかったことにする」こと。

71年の時を経てさえ、アメリカ大統領が白人であったならば、広島を訪れて
原爆資料館を訪れ、慰霊碑に献花し、スピーチをし、被爆者と言葉やハグを交わす
ことなど、到底できなかっただろう。

第二次世界大戦において大いに被害者であり、かつ大いに加害者であった日本は、
双方の眼差しのバランスをとってしっかりと歴史に学び、より良き未来を創ることが
できるはずの国だ。

【被害者】でいることは簡単だ。【加害者】を責めていればいい。
思考を停止していてもできることだ。

過去の戦争の悲惨を学ぶことは、【被害者】【加害者】を超えるチャンスになる。

オバマ大統領から原爆に対する謝罪がないこと、
原爆資料館の滞在時間が10分間だったこと、
それらに憤ることは頑迷だとわたしは思う。
そんな頑迷は乗り越えて、より良き未来を創造するために、できることをしたい。



薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 今の日本で考える。
今の日本について考えていること、書きました。

ちょっと殴り書きかもしれませんが、正直な考えです。




薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)



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# 【バイリンガリズム】私見&雑観
わたしが夜な夜な徘徊する Twitter 界に、気になるツイートが。
ちらっと面識もあるモーリー・ロバートソン氏による、
【バイリンガリズム】について。

ことの発端は、別の方によるこのツイート



それを受けてのモーリー氏のツイートその1



その2。



‥‥難しい。非常に難しい。

【バイリンガリズム】ほど個人差のあるテーマはない。

一番上、インターナショナルスクールで日本語教師していた方のツイートにあるのは
【自分がバイリンガルでないのに子供に手軽なバイリンガル教育を施そうとする
親の浅はかさ】への警鐘だと分析する。

そしてモーリー氏の1つめのツイートは【中途半端な英語力を持った者が振りかざす
『バイリンガル』の幻想とその危険】、2つめのツイートは【バイリンガル教育の
陰に多数存在する『日本語が中途半端な者たち』の存在を知らしめる】【その被害者を
少なくしていくにはどうしたらいいか】が書かれていると思う。

たった3つのツイートの中に、【状況や立場の違いによって物凄く細かく多様化する】
という、【バイリンガリズム】が内包する最大の問題が透けて見える辺りがもう、実に
面白いし、本当に本当に難しいと思う。

そう。これほど【個人差】が全て、なテーマはない。それが【バイリンガリズム】。

というわけで、わたしの話をしよう。
ただしいきなり言い訳で恐縮だが、わたしがインターナショナルスクールを卒業した
のも国際基督教大学を卒業したのも20年かそれ以上前になるので、現在の正確な
状況とは異なるかもしれない。その辺はわたしの限界なので、ご容赦いただきたい。

このブログをいま読んでいるあなたは、わたしの日本語に触れている。
【日本語と英語を話すバイリンガル】が身近にいないために、今ご自分の読んでいる
わたしのこの文章が【バイリンガルのスタンダード】と受けとめる方も多いかも
知れない。

そのため、【バイリンガル教育=通常の日本語に加えて英語も流暢になれる】という
印象を持つ方もいるかもしれない。

それは大きな間違いだ。

つーか、そもそもの大間違いだ。

もう【特大フォント】で書いてもいいっすかね。

《【バイリンガル教育】=普通の日本語の


読み書きに加えて英語も流暢に


なれる》と思ったら大間違いだ!!!



もう、何度だって書こうじゃないの。


大間違いだ!!!


大間違いだ!!!


大間違いだ!!!



インターナショナル・スクールというのはつまり、全ての教科を英語で学ぶ学校の
ことだ。だからわたしは科学も生物も物理も数学も、歴史も社会も、全て英語で
学習した。学校で日本語を使うのは‥‥というよりも使うことが許されているのは
【日本語】の授業の際だけ。【日本語】という科目はつまり、日本の学校における
【英語】と同じかそれ以下の扱いだ。わたしの頃のハイスクールでは【フランス語】と
【日本語】の中から【第1外国語】と【第2外国語】を選べた。(今は選択肢が
増えているはずである)わたしも、ハイスクール4年間のうち2年間くらいは
【日本語】は第2外国語だった。

それ以外の時間で、校内での日本語の使用は固く禁じられていた。先生に
1回みつかったら厳重注意
2回みつかったら放課後居残り
3回みつかったら週末居残り
4回みつかったら停学
5回みつかったら退学
という風の噂がまことしやかに囁かれていたが、そんなヘマをする生徒がいるわけも
なく、本当にそんな校則があるのかどうかを確認する機会もないまま卒業してしまった。
14年間もいた学校なのだが。

基本的に、英語を母語とする子女が本国に帰国しても普通の人生を営めるように、と
考えられているので、卒業後に日本に住むことは全く想定していない。
既に述べたように【日本語】の授業もあったしハイスクールに上がれば【Japan Studies】
という授業もあったけれど、それは「せっかくこんな異国に住む機会を得たのだから、
ちょっとくらい日本のことを学んで帰ってくれ」程度の趣旨であったように記憶している。

しかし当然ながら、学校から一歩出れば、そこは日本。

わたしが通っていた当時の母校は、アメリカ国籍の生徒が一番多かった。次がイギリス。
そして次が日本だった。とはいえ、実際は【混血】の割合が非常に高いので、全体のうち
【学校以外での生活は基本的に全て日本語】という生徒は実はかなり多かった。
わたしもその一人だ。

そんな環境の中で、インターナショナル・スクールに通う子供たちの言語能力の実態は、
果たしてどうなるか。

そう。待っているのは、ルー大柴化である。

わたしはもう話す機会もなくなり、忘れてしまって久しいが、長らく【母語】は
日本語でも英語でもなく【チャンポン】だった。
【チャンポン】。長崎名物のアレであるが、【英語と日本語を混ぜて喋る奇怪な
第3の言語】のことを、横浜のインターナショナル・スクール界では誰もが
【チャンポン】と呼んでいた。

「ねぇYOU さ〜もう今日の homework、hand in した?」

何しろ、思いついた言葉をパッと使って、どちらかの文法に当てはまるように適当に
並べればいいわけだから、これが圧倒的に一番楽なのである。

ひどくなると

【シャワーを取る】(←英語では【take a shower】と言うため)
【体育で soccer を遊ぶ】(←英語では【play soccer】と言うため)

がおかしいことに気づけなくなる。

これだけ書くと何だか愛嬌があるみたいだが、大学に上がる歳になっても
新聞なんか読めない。漢字は書けない。多少書けても書き順はめちゃくちゃで、
【とめ】も【はね】も【はらい】も知らない。敬語は一切使えないし、ハガキの書き方
すら知らない。バイトしてみても、店長に向かって【あなた】とか言っちゃう。
だって、英語では王さまだって神さまだって【YOU】で大丈夫なのだもの。

特に出来の悪い子供がそうなるわけではない。
普通かそれ以上に真面目に学校の勉強をしていても、それだけでは確実にそんな感じの
ルー大柴が出来上がる。

考えてもみてほしい。
生まれてから100%日本語の環境で育った日本人でも、わりかし気軽に
「漢字、苦手」「敬語、苦手」とのたまう人々は、存在する。
なのに、海外の大学に進学できる英語を習得し、あらゆる科目を英語で学習
しながらちゃんとした日本語が、そう簡単に身につくはずがあるだろうか。

【日本語の読み書き】は片手間でマスターできる代物ではない。

では英語は?

これも恐ろしいことに【個人差】の一語に尽きる。

わたしの母校では教師の多くがイギリス人、少数派のアメリカ人、中に少しだけ
オーストラリア人が混入、という感じで、それぞれの英語を毎日朝から午後まで
浴び続けるので、英語耳だけは間違いなく養われる。

発音を聞き分ける耳と、発語の際の筋肉の使い方、この2つだけは子供のうちに
叩き込まないと、大人になってから幾ら頑張ってもネイティブのレベルになるのは
至難の業だと思うが、インターナショナル・スクールに行けば【耳】は間違いなく
備わる。

筋肉の方は、いわゆる【カタカナ英語】になる心配はないだろう。
ただ、前述のようにそれぞれの特色が顕著な英語がごった煮状態で混在している
ので、発音の混乱は往々にしてある。わたしの場合、小学生くらいの頃は言葉によって
イギリス英語だったり、アメリカ英語だったり、めちゃくちゃだった。それがおかしい
ことに思春期のはじめくらいに気づき、自分の中で静かに発音を系統化したおかげで、
アメリカ人相手にはアメリカ英語、イギリス人相手にはイギリス英語(ただしどちらも
少々中途半端なそれではあるが)が話せるようになった。ちなみに、ニュートラルな
状態で話すわたしの英語は、ニュートラルすぎて「絶対にどこの国の人か当てられない」
というちょっと気持ち悪い感じのところで止まったらしい。

そう、耳と筋肉は身につく。基本の文法も、幼稚園からハイスクールまで通って
身につかない人はまぁ、いないだろう。

でも、それ以降は。

残念ながら、英語で勝負しなければならない国で通用するかどうか、【英語を武器にする】
ではなく【英語圏で活躍する】が可能な英語が習得できるかどうかは、本人の意識と
努力次第である。

何故ならば、ハイスクールまでの英語は、そのレベルの教育を提供してはくれないのだ。
全ては、どんな大学でどんな教育を受けられるか、にかかっているのである。

わたしが体験した大学進学のシステムはアメリカ式だったのでアメリカの常識しか
知らないが、アメリカでの大学というのは、日本の学生の多くによってそうであるような
【社会に出るまでの猶予】みたいな弛みは全くない。【学生の勉強は大学入学がゴール】
的な空気も全くない。大学在学中の勉強は受験勉強よりハードであり、しかもそれは
【試験のための詰め込み勉強】ではなく、より優秀な一員として社会や世界に参加し貢献
するための、自己実現や自己表現などをするのに必要な【攻め】の学問。そういった
ことができるためのオトナの英語は、大学に行かないと身につかないのだ。

日本人が聞いてちょっとかっこいい程度の英語が出来るだけでいいのか。

英語で専門分野を研究したり、ディベート社会で生まれ育ったアメリカ人を英語で論破
したり、自分の考えを英語で展開し広めて行く。そんなことができるように、なりたいのか。

全ては、インターナショナル・スクールにいくにあたっての、意識だ。
もちろんまず、親の方に意識が必要だ。

わたしの知る限り、インターナショナル・スクールは進路に関しては自由度が高い。
大学に行かず働く者も、海外の超一流大学に進学する者も、海外のソーデモナイ大学に
進学する者も、高校出てすぐに出来ちゃった結婚した者も、本当に色々。レベルに応じて
色々な道が可能なのは、インターナショナル・スクールのいいところだったと思う。

だから問題は、「これからは英語が出来なくちゃ♪」と闇雲に教育熱心っぷりを発揮して
子供をインターナショナル・スクールに入れてしまう前に、子供にどうなってほしいか、
明確なイメージを持つことだ。

日本人として最低限身につけるべきことは身に付けて、日本で暮らしてほしいのか。
日本には年に1回帰って来るだけでいいから、世界のどこかで活躍してほしいのか。
会えなくなるのは嫌だから、日本を拠点に、でも世界中で活躍してほしいのか。

日本人としてちゃんと日本で暮らしてほしいなら、悪いことはいわない。
インターナショナル・スクールに通わせるのは断念した方がいいとわたしは思う。

英語も日本語も完全に中途半端、簡単な通訳のアルバイト以外何もできることがなく
どこにも通用せずどこにも居場所がない‥‥というインターナショナル・スクール
卒業生は目に見えないところにたくさんいるのではないだろうか。
(【通訳】というのは、インター出にとっては【他に何もできることのない者が
やる仕事】という認識だということを追記しておく)

日本に見向きもしなくなってもいいから、世界で活躍を‥‥と願い、かつそう願う親自身が
バイリンガルでないなら。親も本気で英語を磨きつつ、チャンポンで話したがる子供を
命がけで抑え込んで、英語の本を読ませ、英語の映画を見せ、英語でしか話さない時間の
長さとレベルを意識的に高め続け、欧米の有名大学進学を目指す必要があると思う。
‥‥いやそれ以前に、日本で暮らす時間が勿体ない。イギリスの寄宿舎にでもやって
しまった方がその子のためだと思う。

日本を拠点に、でも世界で活躍してほしいなら。日本の学校が国語の勉強に費やす時間の
せめて半分くらいは日本語の自主的な学習に充て、読書や音楽や映画鑑賞も、普通の子供の
倍は必要と思った方がいいと思う。全て英語と日本語が交互。半々ではない、倍だ。
おまけに、今はどうか知らないが、わたしの頃は、海外ではかなりレベルの高い大学を
出ても日本で就職しようとした時に全く認められない、ということが多かった。
誰が聞いてもわかるハーヴァード大学クラスの超一流大学に進学するか、そうでなければ
卒業後、日本の大学院へ進学して最終学歴を日本の大学にする‥‥という奥の手に出る
場合がとても多かった。

‥‥と、ここまで読んでおわかりいただけたと思うが。。

そう。

やたらと金がかかる


のである。

親の夢とか一時の見栄とかでインターナショナル・スクールに入れるのはまぁいいとする。
だが、ハイスクール卒業までのみならず、海外の大学進学まで、あるいは帰国後の
日本の大学院進学まで、教育にその投資を続けられるか。これは大きな問題だ。
考えてもみてほしい。全ての科目を英語で学んできた子供が、親の事情で日本の学校に
途中から編入されたら、いったいどんなことが起きるか‥‥。

【インターナショナル・スクールに通わせるまでは出来ないけど、これからの子供は
英語くらいできなくちゃ】という漠然とした感覚をお持ちなら、子ども用英会話スクール
とかでいいと思う。ただし、先生の発音はアメリカかイギリスかカナダのネイティブで!
日本語訛りの先生の英語をいくら耳に入れても、英語を聞き分ける耳は育たない。
オーストラリア英語の耳を養っても他の英語を繊細に聞き分ける耳は育たないので
それもご注意を。発音のための筋肉は、まず耳を作ってからだが、筋肉を作るためには
ますますネイティブの英語に日常的に触れることが必要になってくる。

以上、子供の頃から【インターナショナル】がつく学校にしか行ったことがない、
日本の義務教育さえ受けていない、わたしの【バイリンガリズム】私見&雑観。

参考までにわたしの言語能力の話を。

わたしは、インター出の中ではかな〜り特殊なケースだ。

まず、インターナショナル・スクールに入ったのは両親の喧嘩が発端。
父は本土生まれ香港育ちのチャイニーズ、ハハは茨城県産のコテコテの日本人。
その両親が「この子は日本の子じゃない」「でも日本で暮らすんだから」と
大ゲンカをした結果、「かっこいいいし潰しもきくし、間を取ってインター?」と
非常に軽い気持ちでインターナショナル・スクールに幼稚園から入れてしまった。

ここまではインター出にはよくある話だが、普段は全然教育に熱心でないハハが
ムスメの日本語のあまりのお粗末さに「この子はこのままじゃ日本で生活できなく
なる」と一念発起、スパルタ日本語補習を施してくれた辺りが一味違った。

わたし本人も、とにかく人種と言語と文化の坩堝の中で育ち、アイデンティティが
健全に培えなかったために、早くから【日本語の文化】へと逃避していたことが
日本語力の強化に繋がった。学校と宿題をしている時間以外は100%、日本語の
本や漫画を読み、日本語の文章や詩を書くことに費やしていた。
英語力をつけることだけがひたすら奨励されるインターナショナル・スクールで
日本語に血道をあげるわたしは相当な変わり者と看做され実は風当たりも強かったが、
そのおかげで今のわたしがある、とこれは断言できるので、日本語大好きで本当に
良かったと思う。

ちなみに、文章力はごらんの通りの感じで、漢字の読みは多分、日本人の平均より
少し出来るくらいだと思う。が、書く方は今でも本当に苦手だ。日本の教科書で
中学3年生のレベルまでしか学校で学んでいないので、古文の類いは一切、本当に
一切、触れたことがない。
(が、この歳まで生きてきて、一度も不自由したこともない!!!)

そして英語だが、高校2年生まで数学でアメリカの一流大学に入ることが目標だった
わりには「日本の社会で『ちょっとかっこいい』と思ってもらえる程度」の英語しか
わたしは身につかなかった。しかし【言語】というものに元々興味がなかった
わけではないので、合計19年間半のインターナショナル・スクール生活で基礎は
間違いなく身についていたし、社会に出て(というか演劇界に入って)演劇通訳歴が
17年、戯曲翻訳家歴が16年、その間ふれた海外戯曲や欧米人演出家に本当に
多くを学んだので、英語と日本語の両方を使った演劇活動をどうにか続けることが
出来ている。

個人的なこれからの課題は、【英語を武器とせずにやっていく】ことである。

いや、バイリンガル教育にさらされてきた全ての者にとって、これは目標かも
しれない。言語それ自体を極める道を進む人はいるが、ほとんどの人にとって、
言語は手段にすぎないのである。

それはつまり、その域にまで使いこなしてのお話。

その道の険しさを、ルー大柴のママたちには、知ってほしいと思うのである。



薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 「英語で読むミュージカル」の「根っこ」その1。
5年ほど前。

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの次期芸術監督の演出家アシスタントを
務めた時、ある出演者に「どうして珠麗さんは海外に行かないんですか」と
聞かれたことがある。

彼は初舞台を演劇の都で踏んだという経歴の持ち主であり、かつ当時は語学留学から
帰国した直後でもあったので(バレバレですね、スミマセン)海外への情熱が
身体を突き破って出てきそうな状態。

芝居と英語を仕事にし、海外演劇人との交流もある(だろうと人には思われる)
わたしに「海外生活の経験がない」「【海外進出】という願望もない」と知ると
前のめりに不思議がって、しきりに「なぜ」と、なかなか納得してもらえなかった。

同様の質問をされることは昔から非常に多い。

演劇人の海外研修制度が盛んになり始めた頃などは特に、海外演劇とこれといった
縁がないような人でも、どんどんロンドンへ旅立って行った。
わたしは当時英国人演劇人とゆかりが深かったtptにいたので、そういった
人たちのための推薦状をアレンジしてあげるのが日常の業務の一部と化していた。

わたしの場合、当然ながら言葉の壁はないわけで、「だったら何故行かないの?」と
その壁をよじ登ってでも海外研修にチャレンジする人にしてみれば、不思議に
思われるのだろう。当然である。

「こちらが行かなくても、わたしが出会いたい演劇人が向こうから来てくれるんです」
と、わたしはいつもそう答えるようにしていた。

演劇好きな大学生だった頃わたしには「神にも等しいカリスマ」が4人いたが、
のちにその全員と仕事をするようになったわたしがこう言うと、皆さんそれ以上は
追求してこなくなる。

でも、この時の彼は違った。追求をやめなかった。

自分でも「思えば、海外に出ることに全く興味がないのは何故だろう」と不思議に
なり、自分の中を探しながら彼にした説明は、自分でも納得できるものでは
なかったし、彼も1ミリも説得されず、結局「俺なら絶対行くけどなぁ」という
内容の彼の言葉でその話題は終わったのだった。

以来、何と5年間。
ずーっと考え続けてきた。

間には、何と「こちらに来て仕事をしないか」と海外で働くお誘いまで、実は
いただいたのだ。
それはお断りしたのだが、お断りするにも「これ」という答えがみつからないまま。

震災があったり、父が急死したりと、気持ちの面で「日本を離れられない」という
理由も新たにできたが、そうなるとますます、外的要因でない、自分の芯にある
理由が知りたくなる。

そうして、今年の夏やっと、わかったのだ。

ロンドンやニューヨークの観客に、わたしは興味がないのである。
そりゃあ、ブロードウェイの舞台を観に行くと、観客がノリノリで反応がいい。
彼らを相手に舞台を創るのはきっとめちゃくちゃ楽しいのだろう。

だが、それよりもっとずっと根本的な意味で。
アメリカやイギリスの大衆が何を考えているか、(自分のこととしては)知らないし
(自分のこととしては)興味がない。

語りかけたい人のいないところで、何が芝居だ。

いやもっと言えば、アメリカやイギリスの演劇人たちが表現している数々の
主題も、わたしには「自分のこととして」感じられない、ということになる。

伝えたい声と繋がれないところで、何が芝居だ。

生まれた瞬間に国と文化と言語の坩堝の中に放り込まれて、その坩堝の中で
泳ぐように生きてきて。
物理的には日本で生まれ日本で育ち日本で生きてきたが、世界の全てを、
あらゆる文化を、徹頭徹尾「外から」眺めてきた気がする。

もちろん、日本も。

そのまなざしで、わたしは日本を、日本人を、愛しているのだなぁ。と感じる。

日本にしかない美徳。
日本にしかない窮屈。
日本にしかない頑迷。
日本にしかない自由。
日本にしかない豊穣。
日本にしかない倒錯。
日本にしかない低俗。

今ここで思いつかないたくさんを含めた、ありとあらゆる。

日本にしかないしょーもなさを、わたしは愛する。

非人間的にデフォルメされた人物がバカバカしい設定で活躍する連ドラとか。
「考えることを知らなそうなロリ顔」と「巨乳」で人気のテレビタレントとか。
「この人のことを軽んじることが今日の流行り」という約束事の元に盛り上がる
バラエティ番組とか。
眉をひそめたくなる「不謹慎な」言動をした人間を、被害を被ってさえいない
人たちが寄ってたかって非難して吊るし上げる風潮とか。
(あまり理解されていないと思うが、以上はかーなーり日本ならではな傾向である)

例えばこういったしょーもない大衆文化(別にテレビやマスコミ等を悪く言いたい
わけではない、あくまで例だ)に密かに表出する「日本にしかない苦しみ」を、
わたしは愛する。

多分わたしは、日本人がもっと幸せになるために何かがしたい、のだと思う。

当然そこには「演劇には世界を変えるチカラがある」という大前提がある。
(わたし個人に何ができるか何かできるのかはもちろん別である)

もちろん「西洋化」「欧米化」するべきだ、というのではない、それはもう、
これっぽっちもない。(あの人たちはあの人たちで大変な問題が山積みだ)

ただ「日本以外の世界」という背景幕の前に「日本」が立つのを見た時に、初めて
広がる「視野」、生まれる「気づき」があると、絶対的に信じている。

その手伝いを、わたしはしたい。

だからわたしは海外には渡らない、興味もない。

「英語で読むミュージカル」というテーマでお勉強会を開催する根っこも、
実はそこにある。



‥‥と、さすがにこれは飛躍しすぎたか。


この続きは、後日。




薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 「マンガ」に読む「時代」
現在制作されている『サイボーグ009』の新作映画の3D予告を見る機会があり、
胸を熱くした。映画館のロビーに並べられたゼロゼロナンバーたちの設定が、
何というか、「壮観」ですらある。

そこに、紛れもなく「時代」が刻まれているから。

昨年の話になるが、ロングフライトの機内上映のプログラムに『銀河鉄道999』を
みつけて、およそ30年ぶりに見た時も、似た感慨を味わった。

石ノ森章太郎と、松本零士。1938年1月25日、と全く同じ日に生まれた
この2大巨匠は、いずれも「戦後の日本で生きる上での心の整理」をその作品の
原動力としていたのではないか‥‥と、大人になって、改めて考える。

子供の頃、両氏の作品はまさに花盛りであった。
(ちなみに、宮崎駿、高畑勲両氏も新作を毎週、当たり前に生み出していた頃だ。
何と豊かな時代にわたしは感性を育ててもらったことだろう!)

実はその頃から、松本零士作品に関して不思議に思う部分、あるにはあったのだ。
人間が機械の体を手に入れるほど未来の物語なのに、「四畳半下宿」など、
はっきりと「1970年代前半の東京」と特定できる要素の数々。

スター・システムを採用する氏の作品に、タイトルの枠を越えて登場する
【大山トチロー】という人物は、チビ、ガニマタ、メガネ。他にも色々、まさに
前述の「1970年代前半の東京」という背景を背負った人物である。彼の他は
みな、カタカナの名前で、容姿も実にすらっとしている。しかしその中にあって、
トチローは天才的な戦闘能力の持ち主かつ天才的なエンジニアであり、宇宙の
すみずみで伝説と認められる「戦士の銃」や宇宙海賊たちの優れた船の、
彼は設計者なのである。なおかつ、伝説的な宇宙海賊【ハーロック】にとっては
「永遠の親友」、やはり伝説的な女宇宙海賊【エメラルダス】にとっては
「永遠の恋人」。

わたしは幼い頃から人種の坩堝の中で育ったので、ごく幼い頃から
「日本のアニメや漫画の特徴は【無国籍】!」と言いきってきた。
作者は違うが『ルパン三世』などは「で?この人たちは今、何語で喋っている
わけ???」とつっこみながら見ていたわけだ。(もちろん、つっこみつつも
胸をわくわくと躍らせながら!)

しかし、そんな中にあっても、この奇妙なほどはっきりした
「【1970年代前半】VS【白人】」の対立構造が、かなり異彩を放っていた
のは事実だ。

そして約30年ぶりに『銀河鉄道999』を見て、わたしは衝撃のあまり
ひっくり返った。

機械の体を手に入れた特権階級が支配する未来の地球。
主人公=星野鉄郎とその母は最下層階級、餓えと貧しさに喘ぐのみならず、
基本的な人権すら認められていない。
それどころか彼らは何と「狩猟」の対象となり、美しい母に至っては、
殺された上に裸にされ、何と「剥製」にされて、権力者の城の大広間に
飾られていた‥‥という、「ショッキング」としか言いようのない展開。

30年後のわたしは「子供のわたしはこんな強烈なものを見ていたのか‥‥!」と
打ちのめされた。

ちなみにここでも主人公だけが日本人だ。他の人物たちは名前がカタカナで、
人種に関しては、機械だったり透明人間だったり猫型宇宙人だったりすることが多く
なかなか判別は難しいが、概ね「白人かな?」という印象。

そしてここでもトチローは登場して、鉄郎に「戦士の銃」を託すのだ。そして
そのおかげで、鉄郎は宇宙海賊たちにも手厚く扱われる。第一、鉄郎の相手役は
「メーテル」という長身で金髪の、絶世の美女だ。

物語における「日本人」の異様な地位の低さと、それと裏腹にあまりに
「選ばれたる者」である、主人公。
この大いなるギャップの奥に、強烈すぎるほどのコンプレックスとプライドが
透けて見て、わたしは目眩すら覚えたのだった。
「これは‥‥!」と、ロングフライトから降りて最初にしたのは、松本零士氏の
生い立ちをwikipediaで調べる、ということだった。

調べてみて、まさに「絶句」。

戦争の残虐と結末とその後に対する、納得のいかなさ。
怒りと悔しさに裏付けられた、大いなる誇り。

氏の創作の芯にあるのはそういった感情なのではないか、と想像できる。

そうやって考えていけば、『宇宙戦艦ヤマト』などは、もう「モロ」ではないか。
(『宇宙戦艦ヤマト』の「原作」が誰であるか、についてはもう何が何だかよく
わからないほど拗れてしまったのは周知の事実だが、氏が「設定」に携わった
ことは間違いないようなので、ここで取り上げさせていただく)

戦争で沈没した日本軍の軍艦を、わざわざ引き上げて、宇宙船に改造する。
ミッションは、ナチによく似た制服を着た敵がまき散らした放射能によって
汚染されて瀕死の地球を救うため、遠い星から放射能を除去する装置を
運んでくること。
なのに乗組員は全員、日本人。
しかも、組織のあり方や人物たちの名前などは、ノスタルジーをかき立てられる。
「古い日本」がそこにある。
映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』のラストなどは、紛れもなく「特攻」ではないか!

あの戦争についてどうしても心の整理が出来なかった人間が、心の整理を付ける
ために作った物語としか、わたしには思えない。
「放射能」「特攻」「ノスタルジー」。モロである。
戦争においては「味方」であったはずの「ナチ」を彷彿とさせる宇宙人と戦う、
というのも、逆に「整理している」印象が際立つ。

対して、石ノ森章太郎作『サイボーグ009』の背景は「冷戦」であった。

それも、米ソの対立と云うよりは、ベトナム戦争などの、冷戦によって生じた
世界の歪みが舞台である。
「無国籍」な日本のアニメや漫画の中にあっても、『サイボーグ009』の
主人公たちの顔ぶれは、ソ連(当時!)、アメリカ=ニューヨーク、フランス=パリ、
東ドイツ(当時!)=東ベルリン(当時!)、アメリカ=ネイティブアメリカン、
中国、イギリス、アフリカ=ケニア、日本と、際立って国際色が豊かだ(ちなみに、
ここでも言葉の壁はない!ない!!)。
しかしだからといって華々しい存在でも何でもなく、彼らは「肉体」という
根本的すぎる人権を奪われたいわば被害者で、しかも誰に頼まれたわけでも
期待されているわけでもないのに、サイボーグという悲哀を跳ね返すかのように、
悪から人類を救うため戦い続けるのだ。

第一の敵は、ずばり「死の商人」。
つまり彼らは、冷戦によって生じた世界の不気味な歪みと闇を敵として、
戦っていたのだ。
イデオロギーと経済が渦を巻く混沌、もはや「中心」を失った世界の、
今にして思えば、象徴のような物語。

しかし興味深いのは、ゼロゼロナンバーたちの中でも最強の戦士である主人公
009が、やはりここでも、日本人であるということだ。
いや、正確には、母親は日本人だが、父親は白人。時代を考えれば、当然
「米兵の子」と考えるのが自然だ。
戦争によって生まれたアウトサイダーがぐれつつもカーレースの分野で
世界を相手に戦うが、サイボーグ戦士の運命を与えられ、誰にも知られない
まま人類のために、身体を(サイボーグだけど‥‥)張って、戦い続ける。
しかも、フランス娘で美女でバレリーナな同胞を恋人にし、かつ、テレビ
アニメ第2シリーズでは毎週のように浮気を重ねる‥‥と云う活躍っぷり!

「日本人」である自分への、ある種の激しい自己卑下。
と同時に、対「人類」という構図の中で肥大した、プライドと気概。

なるほど、石ノ森章太郎と松本零士の両氏は、やはり同じ時代に生まれ育ち、
生きてきたのだ。

敗戦時に共に7歳であったことも大きいのだろう。
もし戦争の当事者であったならば、戦争と戦後への納得のいかなさを、
こんなにわかりやすい形で作品にぶつけることは不可能だっただろう。

子供の頃は世界の全てがすっぽりとその中にあったので気づかなかったが、
本当に「戦後」の時代にわたしは育ったのだ。
あの戦争と、その後に価値観の全てが転覆したということ、その2つを
どうにか整理して納得して、未来をみつけようと、まさに必死だった時代。

そうやって見回すと、子供の頃のわたしを取り巻いていた数々の物語には
べったりと「戦争とその後」に刻みつけられた澱が染み付いている。

たとえば、わたしの子供時代よりもう少し昔にさかのぼれば、『ゴジラ』
などは、水爆実験の影響で現代日本に出現してしまった怪獣だ。
(リメイクしたハリウッドの皆さんはどれだけ理解しているのか!)

石ノ森、松本両氏より4つだけ年上(敗戦当時は11歳)であった
横山光輝氏の『鉄人28号』は、これもわたしが生まれる前に流行した
物語ではあるが「日本軍が開発するも敗戦に間に合わなかった巨大ロボットが
悪の組織が横行して混乱する戦後日本を救う」という物語だ。しかも
操縦するのは、幼い少年。
何と象徴的であることか。

1960年代には、プロレスやボクシングや野球が広く大衆に愛され、
それをテーマにした漫画やアニメも数多く生まれたが、いずれも主人公は
貧困だったり不遇だったり虐げられていたりする。しかし根性と厳しい
練習を経て「世界」と勝負するまでになっていく。ただし、主人公が
広い世界へ飛び出して行くわけではなく、日本にあるリングやグラウンドまで
「世界」が出向いてくれるので、そこで勝負をして「世界チャンピオン」に
なるのだ。街頭やお茶の間の小さな白黒テレビで見届けられる「世界制覇」で、
大衆は日本人としての自尊心を取り戻した、というわけだ。

作家たちは恐らく、無意識だったのだろう。
夢中だったのだろう。
しかし今こうして振り返ると、戦後に世界を取り戻そうとする彼らの
「世界再構築」の試みは、涙ぐましくさえある。

その中で、やはり手塚治虫は超越しているなぁ、と思わずにいられない。
氏は敗戦当時、16歳。つまり、あの戦争においては立派に「当事者」
である。
更に当事者であった水木しげるよりむしろあっけらかんと、手塚治虫は
戦争体験を描いた。爆弾の直撃を受けて人間の頭が割れる様子はまるで水瓜が
破裂するようだとか、宝塚歌劇団を目指していた少女が顔に大やけどを負い、
戦争が終わっても元の人生には戻れなかったとか‥‥
受けとめすぎず、感傷なく、ありのままに、手塚治虫は戦争を描いた。

と同時に『火の鳥』では「永遠」を求めて狂騒する人間の終わりなき愚かさを
描き、『鉄腕アトム』では「夭折した子供の代わりに、日本の技術力で
【心を持ったロボット】を生み出す」と云う物語を生み出した。

アトムの凄いところは、「喪失」から生まれたのに、その喪失を全く
引きずらず、「技術力」と「人の心」に真っすぐ「明日」を見出している
ところではないか。

他の作家たちのように自らのアイデンティティの苦悩を作品で昇華していく
人間くささは大好きだが、この手塚治虫の客観性、超越、そして「時代」を
読み、感じながら、より根本的な作品世界へ落とし込んで表現するさまは、
やはり唯一無二ではないかと思う。

例えば、主に少年たちを対象にしただろうこれらの物語と比べて、主に少女を
対象にしたらしき『リボンの騎士』の、あの自由さはどうだろう!

‥‥と、ここでハタと気がついた。

これまでわたしが考えてきた作品は、どれも見事に「主に少年を対象にした
作品」ではないか!

では少女のための物語はどうだったろう?

『鉄人28号』をつくった横山光輝氏は『魔法使いサリー』では、ベタベタの
「戦後日本」を舞台にしつつ、そこと繋がった「主に白人っぽい住人たちが
住む異世界」からサリーという「多分、白人」な存在がやってきて、冒険を
展開する物語。

‥‥うわぁ。

少年たちが、日本人である自分を卑下しつつも、小さなブラウン管で世界制覇を
したりして自尊心を取り戻している間に、少女たちは異世界を日常の中へと
受け入れていた、というわけだ。ちょうど、女子供ばかりで守ってきた日本へ
進駐軍が入ってきたのを、迎え入れればならなかったように。

『魔法使いサリー』をはじめとして、少女向けのアニメーションは
「魔女っ子もの」が主流だったわけだが、よく考えると「【異世界】から
【ガイジンっぽい名前の主人公】が【昭和日本】や【現実とはちょっと違う
ちょっと理想化された日本】にやってくる物語」が多かったように思う。
魔法使いの少女がマミだのエミだのになったのは、もうちょっと後のお話だ。

とすると、完全に日本と切り離された「ファンタジー」という設定のもと
『リボンの騎士』を描いた手塚治虫、やはり超越している!と再確認。

いや待て。

ここまで出てきた「少女向け」物語は、いずれも男性が描いたもの。
じゃあ、女性が少女のために描いた物語は?

つまり、少女漫画はどうなっていたのか。

少女漫画の世界ではいわずもがな、「花の二十四年組」と呼ばれる、いわゆる
「団塊の世代」の巨匠たちが一斉に、馥郁たるヨーロッパの文化や嗜好を
薫き染めた世界をそれぞれに深く豊かに構築して、少女たちを夢中にさせて
いたのである。
少年たちはかつての味方やかつての敵国と向き合うのにあたって
「コンプレックスと戦う」という前置きの議式が必要だが、少女たちには
必要がない。まるでヨーロッパ映画そのままの感性で、フランスやドイツを
舞台にして描かれた物語は、のちに実際にフランスやドイツでも受け入れられ、
愛されるほどにヨーロッパの文化を余すことなく吸収していたわけだ。

そこで彼女たちが展開した物語は「いかに愛するか」「いかに生きるか」を
それぞれごくごく個人的に、慈しむように、深めていく物語で、いわば時代を
超越しているのではないかと思う。
これらの作品が登場した当時も現代も、少女の魂を持った人々は
「二十四年組の漫画を読んで影響を受ける人」「二十四年組の漫画を読んでも
影響を受けない人」「二十四年組の漫画を読まない人」に分かれる、
というだけのことだと思うのだが、どうだろう。

想像の翼が易々と様々な境界線を越えていった少女漫画の世界と違って、
「戦後の少年の物語」は「戦後」に特化していると言えるのかもしれない。

この文章の発端となった『サイボーグ009』の場合、当初のゼロゼロナンバー
たちの設定は、009は前述のように恐らく第二次世界大戦の落とし子、004は
ベルリンの壁を突破しようとした時に恋人を撃ち殺され、008に至っては
「奴隷狩りから逃亡」であった。他にも005は「インディアン故の差別を受けて
いた」という設定があり、1960年代後半の世界情勢や、ステレオタイプ的な
視点に基づいているので、2012年の世界とも、日本人の視点とも、合致しなく
なっているように思う。
10年前にリメイクされた際には設定の再構築に苦労の後が見られるが、
今秋公開される予定の最新映画の公式には「かつてゼロゼロナンバーたちによって
平和を取り戻した世界は、再び混迷へと突き進み始めた。世界の終わりに、
あの9人が世界中から集結する」とある。

確かに現実世界は、「冷戦」という構造を失い、正体のない混沌に包まれる
ようになった。冷戦の産物である彼らが再び結集して、どのような展望を示して
くれるのか。

わたしは「2012年の今、我々はどのような物語を紡ぐべきか」よりも
「2012年の今、どのような物語が時代から、わたしたちから、生まれ出るか」
の方に興味がある。


(敬称略)


薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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# 「現在」は走り続ける。(追記)(拍手コメント返信を再び追記)
先週末の、2012年4月14日と15日。
タイタニック号が沈没してから、ちょうど100年の時が流れた。

映画『タイタニック』は3Dにお色直しして公開中であるし、
記念航海や追悼式典が企画され、ドキュメンタリーが放送されたりと
様々なイベントがある中で、実に面白かったのが twitter 上の
「100年後の実況」であった。

まず、タイタニック公式アカウント(@RMS_Titanic_Inc)。
次に、歴史関係の出版社が企画したアカウント(@TitanicRealTime)。
そして、沈没地点に近いノヴァスコシアにあるノヴァスコシア博物館の
アカウント(@ns_museum)。

公式アカウントは
「4月14日午後11時40分。見張りからブリッジへ、目の前に氷山が
迫っていると緊急連絡」
というふうに、「タイタニックに何が起きたか」を日時入りで次々と
順番に、そして淡々とツイートしていく。

「リアルタイム」と題されたアカウントが最もドラマティックで、
出航前、出航、各寄港地での様子、船上の様子などを、色々な視点を
織り交ぜて「実況」していた。「船長」「乗組員」「エンジニア」
「バンドマスター」「一等船客」「二等船客」「三等船客」或いは
氷山衝突後は「カルパチア号(生存者の救出に向かった船)などと
ありとあらゆる角度から、まるでそれこそ戯曲か映画のように、
タイタニックの出航前から沈没後までの人間ドラマを、辿ることが
できる。

ノヴァスコシア博物館はまた少し趣向が違い、タイタニックを中心にした
周囲の船舶の無線通信記録だけを、「100年後のリアルタイム」で
ツイートしていく、というものだった。

そう、つまりそれぞれの趣向、それぞれの視点から「リアルタイム」に
「実況」されるタイタニック沈没のドラマを、きっかり100年後を
生きるわたしたちにしか感じられない臨場感を感じながら辿り、大いなる
運命のいたずらと様々な人生を飲み込んだ悲劇を偲ぼう、ということ
なのである。

映画『タイタニック』が航海いや公開された当時、関連した展覧会に出かけたり
関連図書を読んだりして少なからず興味があるわたしは、大喜びでこれらの
アカウントをフォローし、刻々と迫る運命へのカウントダウンを追っていた。

しかし、大西洋上を西へと進むタイタニックが氷山に近づくにつれて、
あることが引っかかり始める。

「時差」である。

公式アカウントはアメリカ。
リアルタイムアカウントはイギリス。
ノヴァスコシア博物館はカナダ。

そしてタイタニックが沈んだのはイギリスとアメリカの間の大西洋の、
カナダに最も近いポイントである。

氷山衝突は「4月14日午後11時40分」であるから、普通に考えれば
日本では翌15日の昼間になる計算だ。

リヴァプール、サウザンプトン、シェルブール、クイーンズタウンと
追い続けた身としては、氷山衝突から沈没までの2時間40分を
見逃すのは、実に惜しい。
しかも、欲をいえば、最もドラマティックなリアルタイムアカウントで
沈没に立ち会いたい!

何時に twitter をチェックしていればいいかを知りたくて、それらの
「実況」が日本時間と何時間違いで動いているかを調べてみた。

公式アカウントはツイートの中に日時の表記があるので簡単だった。
出航の時から、日本時間とはきっちり13時間違いで時間は流れている。
つまり、氷山衝突時刻は15日午後12時40分。

リアルタイムアカウントが謎だった。日時の表記がないためだ。
ネットで拾った「タイタニック沈没までの出来事とその日時の表」と
睨めっこしながら時差を割り出そうとしても、どうもよく対応しないのだ。
おまけに、これはXデーが近づくに従って明らかになっていたことでは
あったのだが‥‥リアルタイムアカウントと公式アカウントでは時間の
流れがかなり違う!事実、調べた時点で公式はまだ昼間のようなのに、
リアルタイムの方はもう夕食直前だった。

わたしはネット上で「世界各地の現在の時間」のページを探したりして、
どうなっているかを理解しようとした。

twitterで検索してみると、同様の疑問が世界中からリアルタイムアカウントへ
寄せられていたのだった。

「タイタニックの氷山衝突は今から何時間後?」

しかし、いくら調べても、はっきりした答えはどこにも書いていない。

愛好家が作ったらしい「カウントダウン時計」というものまでネット上に
みつけたが‥‥そこに刻まれた時間は、「分」のケタがわたしのパソコン上の
時計と対応しない!

そこで、疑問は一つの質問に集約する。

「午後11時40分って‥‥どこ時間?」

思えばタイタニックの沈没地点、どちらかといえばカナダに近いとはいえ、
大西洋のかなり「真ん中」的な位置である‥‥。

改めてリアルタイムアカウントを辿ってみると、何回か「タイタニック船上の
時計を修整」のツイートがあったのだった。

そう。

大西洋上を東から西へ移動しているタイタニック上では、飛行機のように
急激でなくとも、時間が少しずつ後ろにずれているのだ!
西に移動するにつれて、タイタニック上の時計は30分ずつずらされていたの
である。

つまり、公式はヨーロッパを出航した時点から日本とは13時間違いで運行して
いたが、それだと twitter 実況を追う身にとってはわかりやすくとも、実際の
タイタニックとはずれがあったのだ、厳密に言えば。

ちなみに、出港地ロンドンと辿り着くことのなかった目的地ニューヨークでは
時差が5時間ある、と「世界各地の現在の時間」サイトにはある。

‥‥いやちょっと待て。

それは「現在」の話だ。

1912年時点でのタイムゾーンは一体どうなっていたのか‥‥!?

しかも、「世界各地の現在の時間」サイトには「サマータイム」という表示が
はっきりと出ているではないか!

‥‥1912年に「サマータイム」の制度は施行されていたのか‥‥!?

‥‥クラクラする頭でノヴァスコシア博物館アカウントを見てみたら、どうやら
そこも公式とは時間設定が違っているようだった。

おまけに、ノヴァスコシア博物館アカウントがツイートしている「無線記録」と、
関係者たちの「主観的ツイート」で出来上がってるリアルタイムアカウントでは、
照合するのに適した出来事が殆どない。

タイタニック上では、一等船客たちの「タイタニックなう」「大西洋なう」の
無線連絡を送受するのに忙しくて、周囲の船舶からの氷山警告の通信は
きちんとブリッジに届かなかったのだ。それがタイタニック事故の原因の一つ
であったわけだから、リアルタイムツイートと無線記録ががっちりと合致するのは
氷山衝突後、というわけだ。

‥‥もう、絶望的である。

しかしノヴァスコシア博物館サイトをうろうろしていて、一つ収穫があった。

タイタニックの氷山衝突時刻も沈没時刻も、大西洋上に1時間でなく30分
刻みで区切られたタイムゾーンで設定された、とのこと。

そしてそれは「ニューファンドランド時間」であるという!

‥‥やった!

じゃあそれが、「世界標準時間」であるイギリスの時間(ちなみにイギリスは
現在もちろんサマータイム採用中)、あるいはわたしがいるこの日本の時間と、
何時間違うのか!?

つまり、今から何時間後に、タイタニックは氷山に衝突するのか!?

意気揚々と「ニューファンドランド時間」を調べると、そこにはやはり
「現在サマータイム」の文字が‥‥!

‥‥もう、嫌だーーーーっ!!!

そう思ったまさにその瞬間。

リアルタイムアカウント上のライトラー航海士が、見張り番に
「夜の間、氷山に注意するように」と指示を出した!

手元のタイタニック時刻表でも、リアルタイムアカウントでも、
それは記載されている!
そしてそれは「1912年4月14日午後9時半」のことである、と!

何と頼れる男なのだ、ライトラー‥‥!
ありがとう、ライトラー‥‥!

時に、日本時間2012年4月15日午前5時半のことであった。

同じく「実況」と銘打ちつつも、公式アカウントとリアルタイムアカウント
では、実に5時間ものずれが生じていたわけだ。

タイタニック号が氷山に衝突する、2時間10分前。
ようやくわたしは、100年前の大西洋上を西へと突き進むタイタニック号の
「現在」を、捉えることができたのである。

タイタニック号の見張り番が氷山の姿を捉えたのはまさに目の前に
迫ったその時で、回避はもはや不可能だったと言われるが、わたしも
ネット検索能力を駆使してすら、2時間前までキャッチできなかったのである。

普段わたしたちは「時」をずいぶん固定されたもののように考えているが、
それはとんでもない間違いなのではないか。

タイタニック号の右舷を氷山がこすっていった、まさにその瞬間。
この日本にその時暮らしていたわたしの(母方の)先祖が何時の時間を
生きていたのか。

正確なところは、結局、わからないのではないか。
2つの異なった時間が生きていた「現在」を正確に照合する手段は、
100年後のわたしたちには、多分、ないのである。

「現在」はそれぞれの場所で、それぞれの時間の流れの中で、走り続けるのだ。

「現在」の捉え難さ。
「現在」がすれ違ってしまえば、お互いを再び捉えることが如何にややこしいか。
「現在」を誰かと共有できる、そのことの奇跡。

twitter という同時性、臨場感を感じる場で100年前の出来事の「実況」を
「リアルタイム」で追いながら、そんなことを思ったのだった。



2012年4月20日 追記:


映画の『タイタニック』。

あれも、思えば「1997年」というタイミングでしかあり得ない映画だった、と
この記事を書いてから思ったのだ。

大西洋の底、およそ4000メートルの水深に眠る船体の残骸を撮影するための
潜水/撮影技術の成熟と、生存者の年齢設定。その2つが兼ね合うのは、まさに
その瞬間だけであったかもしれない。

ヒロイン=ローズ、事故当時17歳。
映画の舞台となった1996年には、101歳。

ぎりぎりである。

言い換えれば、100周年の今、「生存者が記憶を語る」物語は、もはや
不可能になったのだ。15年という時間は、実はそれほどまでに大きい。

しかも、映画『タイタニック』は、自ら探検家として数々の潜水の実績も持つ
ジェームズ・キャメロン監督が自ら開発させた撮影機材を駆使して臨んだ
撮影であった。

のちに同じキャメロン監督が手掛けた『アバター』は、やはり監督が自ら開発に
関わった3D撮影技術による撮影だったわけだが、この時も「監督は本当なら
『タイタニック』を3Dで撮影したかったが、開発が間に合わなかった」という
逸話がまことしやかに語られたものだった。

そして、タイタニック100周年の今年。
3D撮影をされていない映画を3Dに加工する、という荒技で、キャメロン監督は
100周年を飾った。タイタニック100周年の日、3D版『タイタニック』は
世界中で公開されていた。3D加工にかかった費用は1800万ドルだそうだ。
2012年4月20日のレートで換算すると、約15億円になる。

「タイタニック」という存在と、これと見込んだ対象のためならどこまでも情熱を
注ぎ込めてしまう男との出逢いもまた、「走り続ける【現在】」の中で、希有で
運命的な出逢いだったのだろう。

ちなみに、若い世代の中にはタイタニック沈没を「実話」とは知らなかった
人も多くいたのだそうだ。「あれは映画のお話じゃないの?」と。

時間はどんどん、走り続ける。



薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)


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# 横濱の「買弁」
神奈川芸術劇場に『太平洋序曲』を観に行って、こんなことを
思い出した。

2年前に書いた文章で申し訳ないが、ここに再掲する。

*****

『横濱の「買弁」』

                    2009年7月24日付け

最近、新しい言葉を覚えた。

「買弁」。「ばいべん」と読む。

Excite辞書によれば:
1)中国で、清朝末期から新中国成立まで、外国資本と結びつき
  自国内の商取引の仲立ちをした中国商人。次第に資本を蓄え、
  二〇世紀初頭には財閥に成長した。
2)自国の利益を顧みず、外国資本に奉仕して私利をはかる者。

実は、世間一般の日本語では2の用法の方が多く見られる。
アメリカにすり寄る政治家などを指して使われることが多いようだ。

わたしが先に知ったのは1の方の意味だった。
横濱の、特に中華街の歴史を調べていると、開港当時に西洋人の
商人たちと江戸の人々の間に立って通訳や仲介をしていたのは
主に中国人だった。「通訳」とか「仲介」くらいの気軽なニュアンスで
彼らを指す時に頻繁に使われる。

しかし、間に入って交渉を受け持つ人間は、全ての仕組みやからくり、
秘密や弱みやタイミングを知ることが出来るからだろう、中国では
歴史的に次第に影響力を持つに至った。故に怖れられ蔑まれたのだろう、
皮肉を込めて2の意味が派生したようだ。

わたしは父親の代から横濱に住んでいる浜っ子で、その父親も
福建省の田舎で生まれて香港で育った人間だから、別にわたしは
その「買弁」を祖先に持つわけでもなんでもないのだが、
中国商人&横濱商人の血が流れているのは間違いないわけで、
なるほど、わたしが長く務めていた「ツーヤク及び交渉事を仲介する」
という仕事はわたしの血に流れている生業の一つだったのか、
どうりで得意だったはずだ、と妙に納得した。

そして、間に入って言葉をリレーし交渉事の真ん中で双方の言い分を
捌く、という仕事のはらむ矛盾も見せつけられたという感じ。

人間、大抵の対立は、どちらも正しいしどちらも違うのだ。
間に入るということは、どちらサイドにも「この人は自分の方の味方だ」
と思わせて、実際は自分の信じる「正しいこと」「こうあるべきこと」を
信じて、その方向へと交渉を誘導していくしかない。
結果、どうしても「自分の有利な方に話を進めている」と思われがちになり
最終的には 「買弁」と呼ばれる、とこういうわけだ。

なるほどなぁ。
「買弁」という言葉、物凄く本質を突いている。

そんなこと考えながら、雨模様の象の鼻パークをお散歩した。

その日、久しぶりに大河『新選組!』のラスト9話ぶんを引っ張り出して
見て、自らの使命に 忠実だっただけなのに、旗本に取り立ててもらえた
(やっと!)のも 束の間、あっという間に居場所をなくし斬首刑にまで
なる様子に、 それでも「これからだ」とお互いに言い聞かせる様子に、
我が身を 重ねてさめざめと泣いたりしていた。
最終話には、今は亡き我が演劇人生最大最高の戦友が(薩長側の、悪役で)
出演していることもあり。。
もう、涙が止まらず。

泣きすぎて頭が痛かったので、雨の中しっとり濡れながら歩いたのだ。

象の鼻というのは、横濱港で最古の防波堤だ。
黒船来航当時、江戸&浦賀からの距離だけで港に選ばれた漁村に、
幕府が最初に築いた港湾施設。
以来150年ものあいだ現役だった防波堤が、このほど少し復元され
公園に造成された。

‥‥てゆーか。近藤勇が試衛館にいた頃から、幕府はこんなもの作って
国を開く準備に入っていたわけで。攘夷も何もないわけだ。実際は。

礎となった防波堤。
幕府が崩壊したことによって、居場所をなくした侍たち。
「買弁」と呼ばれても洋の東西を繋いでいたご先祖さまたち。
外国に切り売りされつつも、外国人たちから新しいものをどんどん
吸収し、やがて独自の文化を花開かせ諸外国と対等に渡り合える
ようになっていった、横濱のまち、港。

わたしの人生は、ご先祖さまたちとふるさと横濱に、学ぶところがある。





薛珠麗(せつ しゅれい)
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# 初めてのパレード
鎌倉で、デモに参加した。生まれて初めて。

4月10日には日本中、世界中の色々な街で反原発のデモが行われたのだ。

しかし、鎌倉のそれは趣旨が少し柔らかで、「抗議する」「反対する」という
よりは、「原発のない未来を想像してみよう」「原発の要らない未来を
今日ここから始めよう」というもの。

集まったのは(未確認情報だが)500名ほど、と高円寺で行われた
1万5000人のデモには遠く及ばない。

わたしも最初は多くの知り合いや有名人がツイッターで参加を表明していた
高円寺のデモに参加しようと思ったのだが、地元神奈川県で開催される
のであれば、そちらに参加しようと決めたのだった。

結果的に、子供連れやサーファーなど地元の人ばかりの、「デモ」というより
「パレード」と呼ぶのが相応しいようなそれに参加することにして本当に
良かった、と今わたしは思っている。



わたしの原子力発電への考えをまず書こう。
原子力発電に対する知識は「持っている」とはとても言えない。
色々な考え方や色々な立場があるということは、原発事故の発生以来、
目にしてきたつもりだ。
しかし、震災から1か月が経つ今、考えをまとめるとするならば、やはり
「原発にはなくした方がいいのではないか」という考えにならざるを得ない。

まず、機械が故障しただけで危険が発生する。しかもその危険を取り除く
そのこと一つを行うためだけに、それをする人(及びその子孫)が命を
賭けたり健康を脅かされなければならなかったり、半径数十キロの人々が避難
しなければならなかったり、世界中はおろか未来の地球までもが危険に
曝される事態が起こる、というのはどう考えても効率が悪すぎると思うのだ。

そうまでして得られるのが日本が使う電力の3割ならば、そして原発を
全てなくすまでにそんなに時間がかかるというのであれば、その間に
使用量を減らしたり代替エネルギーを生み出す取り組みも、進むのではないか。

何よりも、この1か月、自分の軸さえ見失ってしまいそうなほど、
原発や放射能に関して流れる情報はどれもバラバラで、何を信じたらいいのか
どれが正しいのか、どれをどう読めばいいのか、皆目わからない。

それはもう、核をエネルギーに使うということに対する充分かつ正確な情報を
持ち、そこに内包された危険をコントロールする術を持つ人が、然るべき
地位に一人もいないのだ、というふうにしか、わたしには読み取れない。

色々見聞きしてきて、これだけは確実に言えるような気がする。

「核は、今の人間の手に余る」

それだけのことだと思うので、原発の全てを否定するシュプレヒコールを
挙げる、というのはどうも違うような気が、少なくともわたしは、するのだ。

そういうわけで、鎌倉のパレードは、わたしにしっくりきた。

鎌倉駅の西口の時計広場を待ち合わせ場所とした今回の鎌倉のパレードは、
見るからに地元に根ざした暮らしをしている雰囲気のナチュラルな服装の
若者たちが率いて、小さな子供から若いカップルから年配の人、
サーファーやなんかが手作りのプラカードなどを持ったりして集まり、
2列になって1時間半ほど、花見客で賑わう鎌倉の中心街を歩くという
ものだった。楽器を奏でる人たちもいたので、まるでお祭りのような
和やかな活気の中、うららかな鎌倉を歩いた。




「Imagine 原発のない未来を」
「Imagine 分け合って暮らす社会を」
「おいしいお魚とおいしい野菜を安心して食べたい」
「自然エネルギーを選びたい」
「今年の夏も鎌倉の海で泳ぎたい」
「鎌倉の海で安心してサーフィンしたい」
「原発さん、これまでありがとう。お疲れさま、さようなら」
「原発さん、あなたがいなくても大丈夫」

満開の鶴岡八幡宮参道、若宮大路の櫻を見上げながら、そんな言葉を
アピールしながら進む。

一生忘れられない、櫻になりそうだ。



わたしはこれまで、「デモ」というと、その声高さと交通への邪魔が
「迷惑だ」と思って、遠くから冷ややかに見ている方だった。
しかしわたしが初めて参加したパレードのようなデモは、それとは程遠かった。
何かを否定するでもなく、今多くの人々が感じているだろう思いを
口にしているだけのわたしたちに、鎌倉の花見客は優しかった。

「自然エネルギーの方がいいに決まってるよな。。」

そんなふうに話す通行人の声が、本当にたくさん聞こえてきた。

一人だけ、
「そんなこと言って、電力が足りなくなったらどうするんだ」
と年配の男性の声が聞こえてきたことはあった。

「小児がんや奇形の増加の危険性があるかも知れない今の事態より
困ることがわたしには思いつきません」
心の中でそう答えた。
(口に出して答えたかったけど、咄嗟に答えられなかったのが悔しい)

幼稚園生の手を引き、ベビーカーを押した4人家族の花見客が
「入れてください」と列に加わってきた。
ビラを受け取りながら、年配のご夫人が「ご苦労様です」と頭を下げて
声をかけてくれた。
沿道の商店から従業員や経営者が小さなプラカードを持って出てきて、
ガッツポーズをしてくれた。
厨房の窓から顔を出した調理士さんたちが、全員で「ありがとう」と
拍手してくれた。

小さな勇気を奮い立たせて生まれて初めてのデモに参加したので、
そういう小さな賛同が、本当に嬉しかった。

警察にもわたしは感動した。
たとえ500人でも、花見客でごった返す鎌倉で人がまとまって
移動する、というのは大変なことだ。
ただでさえ車や人で混雑する複雑な地形の街に、信号やバス停、
駐車場、曲がり角、踏切が至るところに。
しかも2列で歩いているから、途切れやすく実に不安定なパレード。
警察からはたくさんのおまわりさんが来てくれて、縦横無尽に
交通を整理してくれた。
デモというものに対して警察は迷惑なものでも扱うようにあしらうんじゃ
ないかと想像をしていたのだが、全然違った。
一生懸命に走り回って交通を整理し、動線を確保し、列が途切れない
ように采配してくれた。車道と歩道の間を歩くことが多かったが、
危険も混乱もなく、途切れることもなく、いいペースで安心して
歩くことができた。迷子なども出たが、泣き叫ぶ子供を片手に抱っこ
しながら走り回ってくれた。時おり「頑張りましょう」と声まで
かけてくれた。それも1人や2人じゃなく。
彼らもきっと、家族を持ち、鎌倉の海と自然を愛しているに違いない。
被災地に故郷がある人だっているかも知れないのだ。津波の避難誘導を
していて殉職した警察官のニュースに胸を熱くしたおまわりさんも
いたに違いない。

誰もが望んでいるだろう未来を共に見つめる、和やかな時間。




しかし最後の方で、わたしとしては違和感を感じるシュプレヒコールが
叫ばれたこともあった。
ちょっと強い語調の「原発反対!」的な発言は、今日のパレードには
要らないとわたしは思った。

それ以上に
「左翼より 右翼より 仲良く!」
と叫ぶ若者がいたのは残念だ。

日本では「右翼」「左翼」というと、いずれも、極端な思想を
それこそ「声高に」叫ぶ宣伝カーが思い浮かんでしまう。
しかし多分世界的には、「右派」「左派」というのは、もう少し
微妙なグラデーションを持っているものだ。
たとえば、アメリカはかなり明確な二党政治が行われているが
(それが成功しているかどうかは知らないが)
共和党は基本的に右派、民主党は基本的に左派で、政策の根底には
常に政治思想の裏付けを求められる。
生まれた時からチャキチャキの共和党或いは民主党、という人も無論
多いが、多くの人は現行政治に対する評価を元に、次の選挙でどちらに投票
するかを決めたりするのだ。

「左翼より 右翼より 仲良く!」というこの若者のシュプレヒコールは
日本人の感覚に如何に政治思想が欠落しているかを表している気がして、
何だかもどかしかった。(叫んだ若者にあまり非はない)

わたしだったら「武力より 我欲より 仲良く!」とでも叫んだと思う。

パレードは、由比ケ浜の海岸で解散した。
穏やかで広々として暢気な湘南の海を見ながら、この同じ海が猛り狂って
何万もの人の命や町を奪ったのか、と信じられない思いに打ちのめされる。
この海が永久に穏やかで安全なものであり続けますように、と心の中で
手を合わせた。



わたしのデモ初体験は、素晴らしいものだった。
いま日本人は、意識を変える必要に迫られていると思う。
それについては、また書きたい。


薛 珠麗(せつ しゅれい)
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# 「世代」
演劇をつくる立場になって16年。
内容に深く関わるようになって15年ほどになりますか。

演劇という「ナマ」の表現に携わっていながら、実は
「世代」というものを考えたことも感じたことも、ほとんどない
演劇人生を歩んできました。

既存の戯曲を、わたしより年齢が上の外国人演出家が演出する、
という現場であることが多かったからかも知れません。

既存の戯曲とはつまり、わたしが生まれた時にはこの世に既に
なかった作家が遺した作品、ということです。わたしが今まで関わった
中で一番古い戯曲は古代ギリシア劇で2500年前の作品。
シェイクスピアは400年ほど前だし、200年前や100年前の
戯曲だったら1930年代や1950年代の戯曲と感覚としては
あまり変わらないくらいです。むしろ、1970年代以降の作品で
関わる人たちが記憶している時代を描いていると、逆に新鮮だし
緊張もします。今も生きている作家の戯曲を扱う時も、普段が
こんな調子なので実感もわかず特に感慨はない、というのが本当の
ところなのですが、以前作家がイギリスから観に来てくれた時は、
さすがにたいへん感動しました。

過去に書かれた作品を舞台に載せる時は、作品が描かれた時代を
一通り検証します。作品の世界観や訴えているメッセージは、時代が
その原動力となっていることも多いからです。

どんな時代が作家にその作品を書かせたかを考え、
それがその舞台を作る送り手であるわたしたちと、舞台を見る観客に、
どのような関係があるかを考えます。

現代のわたしたちと全く関係がない舞台は現代の観客に届ける意味が
ないと思うし、また逆に、現代に全く関係がない戯曲というのも
あまり見当たりません。「名作」と呼ばれて時代を超えて語り継がれている
作品は、やはり時代を超え、普遍的に訴えるものがあります。

わたしが関わってきた作品の多くは外国人が演出した舞台ですが、その場合
この「普遍性」がポイントになることが多いです。全く違った環境や時代から
集まった、戯曲、演出家、スタッフ俳優、そして観客が、時代や文化や国の
違いを超えた「人間」に斬り込んで、普遍的な本質を抉り出す。。という
試みはしかし、現代に生きている生身の人間が全身全霊で当たっている場合
意識せずとも「時代」が表出するのではないかと思います。

そうやって、100年前の戯曲であるにも関わらず、衣裳や美術を
特に「現代に置き換える」ということをしないにも関わらず、
「現代社会を鮮やかに浮かび上がらせた」と評判の舞台が出来上がる、
という刺激的な現場にわたしは何度も居合わせました。

「世代」とか「時代」は特に意識するものではなく、わたしにとっては長らく
「生身から自然に滲み出てきてしまうもの」だったのでした。

そうやってサブリミナルな付き合い方をしてきた「世代」「時代」と、
今、少しだけ意識的な付き合いをしています。

次回作でわたしは翻訳をしているのですが、
イギリス人である作家が何と!生きているのはもちろん、わたしより年下!
その上、演出家は日本人で、やはりわたしより年下!

しかしありがたいことに、作家も演出家も翻訳家のわたしも、世代は
一緒です。ついでに言うと、大きく括ると(笑)主人公もまた、同世代。

というわけで、国は違えど環境は違えど、対象として見てきた世界は
同じなのです。目撃してきた世界の変化も一緒。

たとえば。

わたしの世代は、冷戦の終結をリアルタイムで見ています。

それまでは、「世界の脅威」とは、鉄のカーテンの向こうにある
赤旗翻る灰色の世界でした。それはとてもわかりやすい図式でした。

しかし、東ドイツがなくなってソ連がなくなって、代わりに世界を脅かし
始めたのは、人間の「科学の進歩」それ自体なのでした。
始まりは、チェルノブイリ。それがうやむやになった頃に襲ってきた、
オゾンホールの脅威と、地球温暖化。

それに加えて、資本主義が絡み付いてこびり付いた、人類史の負の遺産。
具体的にいえば、アメリカ対中東の関係悪化です。カネと怨念がないまぜに
なった、得体の知れない脅威。

ベトナム戦争いう前奏曲が流れた後、次第に崩壊していった、それまでの
世界の、シンプルな図式。
わたしたちの世代は、それ以降の世界に漂う得体の知れぬ影を見つめながら
成長し、生きてきました。

あるいは、たとえば。

わたしの世代は、通信システムの進歩を、身をもって体験しています。

長らく、友達と連絡と言ったら、「自宅に電話」しかなくて。
高校時代に好きだった先輩は両親とも教師だったので、電話をするまでの
ハードルが異常に高かったのを覚えています。
彼氏が出来たら、深夜の居間で明かりを消して、電話機をソファまで
引っ張ってきて、長電話したりしていました。

1995年、わが家に子機付きの留守電が登場!
晴れて、部屋に電話が!!!

‥‥って言ってるうちに、ファックスが導入されました。
ちょうど今のメールみたいな感覚で、友達と手書きファックスを
夜中に送り合っていたものです。

でもここからが早くて、1996年にはPHSを導入!
それまでは、一旦家を出てしまえば留守電を外から聞く以外に全く
連絡手段がなかったわたし(わたしはポケベルは経由していません)、
ここで初めて「いつでもどこでも連絡が取れる人」に!

翌1997年には、早くもPHSから携帯電話に昇格。

ここで思い出せないのが携帯メールがいつから始まったかです。
iモード開始が1999年だそうだから、その辺かしら。。
ドコモは最初、250文字だったんですよね。わたしはその前に
50文字っていう信じられない時代も経ている気がする。。
長いメールを何通にも分けて、行き帰りの電車から送っていた
記憶があります。

それまで仕事では使っていたパソコンを自宅にも導入したのが
1998年。初代、ボンダイブルーのiMacです。
この時初めて自宅にネットが開通(ダイアル回線でしたけど!!!)、
その時に取得したメールアドレスをわたしはいまだに使っています。
よく覚えているのは、この頃はパソコンにしかメールの出来ない
人が多かった、ということ。

携帯でもメールが出来るようになったのがiモードが始まった
1999年として、カメラが付いたのはその3年後くらいかなぁ。

2002年、4年間使ったボンダイブルーのiMacをiBookに
買い替えました。

ここからは、ブログ、ミクシィ、twitter。。っていう流れ。

Skype は使いこなせていないし、今年MacBookに買い替えましたが、
iPhone も iPad も現在のところは必要性を全く感じません。

それにしても、twitter の普及によって、世界のどこにいてもネットにさえ
繋がっていたら、日本にいる赤の他人がいつ仕事から帰ったかも即座に
知ることのできる世の中になりました。

友達が待ち合わせ場所に来なかったら3時間でも待っていた時代は、
遥か昔です。

自分が年を重ねると共にそんな変化を体感してきた世代にしか
感じられないものも、あるのじゃないか。至極もっともな考えです。

今まで向き合ったことのなかった「世代」というものと、今、
向きあってみています。


薛 珠麗(せつ しゅれい)
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